投資をするより自分で稼げ!の罠
投資に関する理解がコロナ禍を通して急速に広まったと感じる今日この頃。
コロナ前は
仕事に身が入っていない奴
ギャンブルをやっている奴
楽して稼ごうとしている奴
そんな目が投資家に
特に若い個人投資家に向けられていました。
認識が広まった最近では、そんな事を思ったり、言ったりする人数は劇的に減ってはきているものの、少なからずいるので、職場や学校、友人、家族間では投資の話をしない、という個人投資家さんも多いのではないか、と思います。
頭ごなしに投資を否定してくる人が良くない反面、投資をしている人が、それに理解を示さない人に対して頭ごなしに否定を返すのもまた違うな、と感じます。
投資をしている人が、それを理解しない人に対して
「頭が悪い」
「時代に遅れている」
「マネーリテラシーが低い」
なんて言っている話も良く耳にします。
これだと双方の溝は深まるばかりですので
本日は少し趣向を凝らして
「なんで、投資を否定するのは良くないのだろう」
と考えてみる回にしてみようと思います。
この記事は
Twitter account:S.A.ham.ponta@SxAxTwがお送りします。
はじめに
僕達は仕事をしなければならない、という認識の世界で育ちました。
「汗水を垂らして働く」
「身を粉にして働く」
など、労働色の強い表現は日本語圏内には溢れかえっています。
働く事は素晴らしいとされ、その働きというものは労働と殆どイコールで繋がれている認識の社会で教育を受けてきました。
逆に投資教育というものは
僕の記憶の範疇では全くと言って良い程、受けた記憶がありません。
投資そのもの処か、複利効果や負債や株式の仕組みについて習った記憶がありません。
義務教育の範疇で二度の世界大戦や大航海時代を習ったのにも関わらず、もはや意図的に回避しているのではないか、と思う程に投資関連の知識を避けて教えられてきました。
唯一記憶に残っているのが徳政令が幕府が出した借金帳消し政策だった事くらいで殆どファイナンスについては触れられないまま義務教育を終えた事になります。
今となっては多くの投資を嗜む皆様にとってはファイナンシャルな視点無しで歴史を語る事など出来ないでしょう。
しかし、僕達は、そのような教育を受けていません。
つまり、投資家の皆様は主体的選択の結果としてファイナンシャルな視点を手に入れたのであって、ファイナンシャルリテラシーは、この国の常識ではないのです。
僕達が生きる現代社会は、主体的情報取得の方法が充実し、投資がトレンド化する事で資料も潤沢になってきた事で情報を得やすくはなってきたものの、ファイナンシャルリテラシーはまだまだ常識だと呼べるモノではなく、それを先行的に獲得した投資家達は一種のノーブレスオブリージュとして、その摩擦を甘んじて受け入れるのも、有りなのではないかと思っています。
このコンテンツでは、僕達投資家が、非投資家、特に投資家を否定する非投資家の人々について、考察し、理解していこうという趣旨で書き進めていきます。
知らないモノが怖いという感情
投資を否定する人達の心理において、未知に対する恐怖はあるなぁと思っています。
得体の知れないモノを怖がる心理というのは
よく言われるモノです。
「え?知らない事ってワクワクするじゃん!」と思われた方は、もう完全に選ばれし人間なので、ノーブレスオブリージュモードに入ってください。
基本的には人は未知のモノを怖がり、それにお金が絡もうものなら、未知は怪物です。
その怪物をペットとして飼っている変人が投資家達なので、もう否定しちゃいます。
僕は爬虫類が好きなのですが、世の中には蛇が嫌いな人が多く、勿論、嫌いな蛇を飼っている僕と僕自身を切り離して仲良くするのは容易ではありません。
蛇でも難しいので、未知の怪物を飼っている投資家には断固否定の意を示してしまうという側面もあるかと思います。
嫉妬心
これは投資家同士でもあります。
誰かが仮想通貨で儲けると、仮想通貨を否定する。グロース株で儲ければグロース株を否定する。新興国株で儲ければ新興国株を否定する。
これは課題の分離が出来ていない故に起こり得る事だと思うのですが、投資家歴が長くなるに従って投資家は皆気付きます。
人の儲けを気にする事の意味の無さを。
同じ株を買っていたって、僕は2万の儲けで、友人は3000万円儲ける事だってザラにあります。
投資は時間や量に大きく左右されるモノなので当然です。
友人は僕よりも早く大量に成長株に張っていただけです。
こんな事が日常茶飯事で繰り返される投資の世界に身を置いていれば他人の儲けなど見ても仕方がない事はすぐに気が付きます。
実はこういった比較や批評の話題は著名投資家のような競い合う専業投資家の情報を投資初心者が簡単に入手出来るからこそ、今では投資家の中でも頻繁に起こり得るものとなってきている部分もあります。
ただし、著名投資家は自分のポジションを明確にする為に発信しているのであって、個人投資家の多くはそれを分からずに真似をして批評しているのでは、と思う部分もあります。
さて、投資家間でも程度が低ければ、こんなモノですから、投資をやっていない人から見れば、尚の事、ずっこい事でもしているかのように見えるのかも知れません。
実業家の中にも投資に否定的な人もいて(僕個人的には壮大な矛盾を抱えているような気もするのですが)僕が投資をしていると聞くと「しょうもない事」と言ってくださる先輩もいました。
一番大きな嫉妬心は自分達が苦労して稼いでいる金を簡単に手に入れている人に対する嫉妬なのかも知れません。
美意識
今回、タイトルにもしましたが、この理由で投資を否定する人達は、とても多くの危険を孕んでいます。
自分の腕で稼げ!
汗水を垂らして稼げ!
苦労して稼げ!
と考えている人達です。
彼らは投資家に対してそうゆう事を思うだけではなく、自分自身にもそう言い聞かせています。
しかし、敢えて言うなら、それは奴隷の心理です。
あなたは得をしてもいい、その免罪符が必要なのです。
腕がなくても腕のある人に投資すればいい。
体力がないならある人に投資すればいい。
苦労しきれないなら何かに挑戦している人達に投資すればいいのです。
実際、仕事だって、そうやって出来ているのです。
人の才能に、資源に、機会に投資をしているのですが、それでも自分の仕事をこなす、自分がこなしている仕事にばかりに気がいってしまうのでしょう。
ひどい場合には資金を集めて仕事をしている、投資を受ける側の人間に対して自分の金でやれ!なんて否定を投げかけたりもします。
ちょっと待ってください。
あなたは誰からも投資を受けずに、投資をせずに生きていけるんですか!?ってなります。
仕事のリソースだって、誰かの投資の結果なんです。
しかし、勤勉な彼らは、きっとそんな事には目もくれないでしょう。
人の足を引っ張るのも恐ろしい事ですが、一番恐ろしい事は、その呪縛が彼ら自身に一番よく効いてしまう事です。
正直、僕達投資家は彼らを無視してしまえば良いだけです。
しかし、彼らは彼らである事をやめられません。
彼らが有能であれば、彼らの投資機会はきっとあります。
そして、彼らに投資したい人もいるでしょう。
その人達を否定してしまっている事の恐ろしさは計り知れません。勤勉な労働階級としてのプライドは彼らの資産でもありますが、それを他者に向ける事で、自分達自身を縛る呪縛に変える事の損失は彼ら自身、社会全体、僕達投資家にも降りかかっています。
終わりに
投資家と非投資家の格差は年々、日々、刻一刻と広がりつつあります。
投資家が豊かであり続ける為には、非投資家の豊かさも重要です。
僕達は投資家間で何を考えているのか学び合う習慣を持っていますが、非投資家が何を考えているのかを考える機会をあまり設けていません。
もはやリテラシーの差が経済的格差に、更には文化的格差にまで広がりつつあります。
投資は豊かを分け合い、共に育つ為の手段です。
その中には非投資家も含まれています。
彼らは社会の構成員です。
しかし、彼らはどんなにお金を稼ごうと稼げば稼ぐ程出費が増えます。
彼らには収入こそ豊かさです。
そして貧しさの原因を富裕層に求めてしまいます。
僕はあまり好きではない政治家なのですが
マーガレットサッチャー氏の言葉を引用します。
強者を弱くすることによって、弱者を強くすることはできない。
それでも富めるものを引き摺り下ろしたくなるのが、富めなかった人々の心理です。
投資家は非投資家が窮鼠となる前に、その相互理解と共に豊かになれる未来へ意識を向けなければ
社会全体がダウンターン入りする危険性を孕んでいます。
僕達はそれを恐慌と呼んで恐れてきました。
格差の拡大と恐慌の関連性は歴史が証明しています。
とても難しい課題ですが
金融教育が施されていない我々が全体で投資家マインドを共有出来る社会の実現に向けて、少しずつ摩擦を軽減出来る事を願っています。
written by S.A.ham.ponta@SxAxTw
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