アトリエ・IMA “Shigechika Suzuki “
セラピストとして日々感じること。心理学の研究も進み、マイノリティがマジョリティとなる世界がもうすぐそこまで来ているのかもしれない。
セラピストが癒すわけではない心理カウンセリングや心理セラピー。 心に悩みを抱えた人はセラピストに話をすることで、いったい何が変わるのか。 精神科医のところへ行けば薬を出してくれて症状を和らげてくれる。 不安に感じていることや幻聴・幻覚・妄想。 不眠症に摂食障害。人と話すことができず、引きこもる。 コミュニケ―ションができず、仕事ができない。 リストカットを繰り返し、ツイッターに『死にたい』とつぶやく。 どうしてかわからないけど酒に溺れてしまう。 依存さえしていればストレスが
『明日から本気出す』はよく耳にしますが、私は今日から本気出してました。
クライエントさんの勧めで【鬼滅の刃】を拝聴している。第一話の炭治郎、妹を守ろうと必死。心理学的視点から見れば、過度の喪失によるPTSDと、フラッシュバックの症状かもしれない。このような状況では、とにかく落ち着かせてあげられる環境と寄り添いが必要。自閉スペクトラム症も垣間見える。
無論、Xに限らずSNSのほとんどは広告収入で成り立っている。私とて発言のほとんどはプロモーションに他ならない。とはいえ、フォローよりおすすめのアカウントに目を奪われ時間を浪費するのはごめんだ。 これでは、フォローフォロワーの意味がない。この機能を外すには課金が必要という資本主義。
Xからしばし離れることにした。 発信メインで進めていたが、どうでもいい情報や宣伝広告が多すぎる。 そして未だに蔓延るGルート排他主義の方たち。学びの道は拓かれず、自分を見失う。
公式Xからの続き。 『鈴木先生は、ご自分の学歴のことをコンプレックスと表現してくださいました』 ただ、【コンプレックスは言語化しにくい】のです。 と、Y先生はおっしゃった。 言語化しにくいのはどうしてだろうか? それはもしかしたら、日本が〈恥の文化〉だからかもしれない。 自分の弱みだと感じていることを、敢えて言語化することによって、その弱み(のようなもの)は強みにもなるし、武器にもなる。 多様性だのなんだの言っていたとしても、自分の弱みを認識した上で大いなる(と思
憧れだった京都大学へ。二度目になる対面での学会開催。 三月三日、桃の節句。 灯りをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ桃の花。 五人囃子の笛太鼓、今日は楽しいひな祭り。 そんな桃色に染まったこの日、京都から戻る新幹線のチケットをインターネットで購入。 錚々たるメンバーに、自己肯定感爆下がり。 京都大学の杉原先生、大妻女子大学の福島先生、神奈川大学の山蔦先生、杉山先生、筑波大学の安藤先生、、 その他大勢、憧れの人たちが一同に集まる。 私なんかがこの場所にいていいの
多様性と叫ばれる昨今、最も身近にあるのが男女の差異ではないでしょうか。 そもそも『男女の差』というのはどこにあるのか。 そしてその平等性は果たして実現されているのだろうか。 私は考えました。そして結論としては遺憾ながら、否、でした。 では、どうして否なのか。いつから否なのか。 その理由を、もう少し深く考えてみることにしました。 いつから? 男女平等というものが叫ばれ始めたのは、ウーマンリブ、いわゆる女性の権利を認めよ、と女性が声高に主張し始めた頃からでした。 男は
宇宙人。 地球だって宇宙にある。 だから僕たちだって宇宙人。 きっと何万光年という距離の先には僕たちみたいな時が流れ、生活があり、ストレスフルなサラリーマンがいる。 かもしれない。 知的生命体(言い方よww)は僕たち地球人だけで、グレイもUFOも存在しない、、 かもしれない。 答えなんて求めない。 僕たちは地球人、、 かもしれない。 #地球人 #かもしれない #心の声
改めてnote、活用してみようかな。
亡くなった祖父が言っていた。 タバコは、百害あって一利なし。 今を生きている私は言う。 戦争は、百害あって一利なし。
ジェンダーフリー。 あなたの性別は男ですか?それとも女ですか? 私は、そのどちらでもない、と感じています。 だからといって、同性愛者でもないし、女装が趣味なわけでもない。 曖昧な性別、なのかな。 いわゆるクエスチョニング【Q】です。 ダイバーシティやら何やら、配慮やら何やら、それこそが差別や区別なのではないかと感じつつ、そのこにも属さない自分自身と向き合ってきました。 女性の、丸みを帯びた身体は美しい。 男性の、ゴツゴツとした筋骨は美しい。 美しいからこそ手に入
あと数分で、この日が終わる。そしてまた新しい日が始まる。年齢を重ねるということは辛く苦しいことなのか。加藤諦三先生は、歳を重ねると人は成熟するのだ、と言った。身体的には衰弱するのかもしれないが、心はきっと輝かしいものになっていくのだろうと感じる。
お世話になっている方から贈られた万年筆。 箱を開けると、そこには普段から使っているボールペンとは全く違う輝きを放っている筆が一振り。 一振りなどと書くと、まるで日本刀のように聞こえるが、私にとっては記念すべき人生初めての万年筆なので、敬意を込めてこの表現を使うことにする。 名だたる文豪も使用していた万年筆というものを手に取り、その独特のペン先にしばし目を奪われる。 カートリッジを差し込み、インクが滲み出てくるのを待つ。 まるでネルドリップのコーヒーを淹れている時のよう
脳から肉体、精神まで一通り調べてみようと、昨日思った。