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結果がどうであっても、全力でやるのがヨギーなのだ。

周囲の人の「うっかり」に振り回されています。

1つめは、土曜日。
複数人で開催したオンラインクラスで、Aさんがやる時間帯にBさんがクラスをしてしまい、Aさんがクラスを出来なかった。
これは、私にとって直接的な被害はないけど、後始末が大変だった。

2つめは、日曜日。
朝9時から対面ヨガクラスの予定があり、前日21:30時点で予約が入っていなかったため、朝7時の時点で予約がなかったら、クラスを閉じたいと相談し、「7時でクローズします」と承諾を得ました。
そして、7時に予約が入っていないのを確認し、家でアニメを見ながらだらけていたら、8:25に「さっき予約が入ったからすぐに来てくれ」と言われた。

3つめは、月曜日。
定期的に受講している講義があって、時間になっても先生が参加せず、20分くらい待たされた。

似たようなテーマでハプニングが起きていることに気付く

毎日、時間に関係するハプニングが起きていました。
これは何かに気付けということなのかしら。

1つめの出来事のBさんは、よく時間を間違うので、生徒が待たされることが度々あり、心配になることが多い。
だけど、3つめの事例のように、先生を待つという生徒側の体験をしてみると、そんなに嫌な感情なく待っていられるもんなのかもしれないなとも思う。(もちろん、ちゃんとやるのが当たり前だけど)

2つめの出来事は、めちゃくちゃビックリして、心の中で罵詈雑言を吐きながらスタジオに行った(笑)けど、その日に参加された生徒さんは、私のヨガを受けることが必要だったと思える人だった。

そうやって、くそ~って思うことは、日々起きているんだけど、結局は、これで良かったかも。と思えるような体験に変わっているなと感じます。

これ、最後までやらなかったらどうなるんだろう。
たとえば、2つめの出来事、準備が出来ないとか言って断ってしまうとか。3つめの出来事、先生の遅刻を待てずに講座を退席するとか。
物理的に2つめの出来事はスタジオがすごく困るだろうし、3つめの出来事は自分の知識が不足する。
それ以上に、最後までやることで得られた気づきが無い状態で終わってしまうのだと思います。
以前の私は今より短気だったから、気づきを得られるまで待てなかったなあ。

必要な方に届きますように

1つめの出来事は、私がスケジュール管理をしているから、一応全員宛としてスケジュールがどうなっているか定期的に連絡を入れています。
だけどBさん以外は、いつ自分のクラスがあるのか間違えたりしないから、その作業はほとんどBさんのためにやっていることと言えます。
だけど、肝心のBさんには届いていない。

SNSで出てくる講座の案内とかで「必要な方に届きますように」って書いている人を見かけるけど、その祈りは私も強くそう思う。
「この人、ヨガやったらいいのにな」とか「瞑想をやってみたらいいのに」と思う人は沢山いるけど、実際に始めるひとのほうが少ない。
Bさんに肝心なことが届かないのと同じように。

いつか届くのか、届かないままなのか。

投げやりではなく、心からどっちでもいいと思った。
結果がどうであっても、全力でやるのがヨギーなのだ。


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