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社会人が学生に戻るのは、英雄の冒険のようなもの

神話の力を読む読書会に参加しています。
今週から第5章、英雄の冒険に入りました。

神話の力は、神話学者のジョーゼフ・キャンベルとビル・モイヤーズの対談を書き起こしたもの。
これを読んだせいで、(おかげで?)私の中の聖書と聖書の神に対するイメージがガラッと変わったのを感じます。
母の宗教のせいで子どもの頃からのマインドコントロールというか、私を縛っていたようなものがあったんだけど、この本の第2章を読んでみて、そういうものから離れることが出来たような気がします。

英雄の冒険

神話には英雄の話がとても多いのですが、キャンベルはその理由を「語るべきものが多いから」と説明しています。
英雄の物語は、何か自分に不足していると感じている人物が、失ったものや、なんらかの生命をもたらす霊薬を手に入れるために、日常生活を超えた冒険に出立し、目的のものを手に入れて戻ってくるというもの。
英雄とは特別な人ではなくて、どんな人でも英雄の冒険を人生の中で繰り返しているということが書かれています。

個人的に考えたこと

キャンベルは、英雄の旅の構造と精神的な意味のいくつかは思春期儀礼やイニシエーション儀礼で先取りされていると書いています。
つまり、心理的に未熟な子どもの状態から、自己の責任と自信に支えられた勇気を持つためには一旦死んでよみがえるという、モチーフが必要ということです。

(子どもの状態は)14歳から21歳、もしくは博士号が取りたければ35年くらい続きかねない。そのあいだは自分に責任を持って自由意志で行動する存在ではなく、誰かに叱られたり誉められたりしながら、また、それを期待しながら大人しく依存しているのです。

神話の力

私は、なにかしらの通過儀礼を経て大人になっています。
中身が伴っているかどうかは別として、一応大人になった今、修士号を取るために大学院に入学しました。
これって、ある意味こども返りのような側面があるのかも知れない。

自分に責任を持って自由意志で社会人として行動しながらも、誰かに叱られたり褒められたりすることを期待して、学生をするということ。
なんて両極端で、なんて中途半端で、なんてワクワクすることなんでしょう。

20年以上同じ仕事をしていれば、大体のことは一人で仕事を完結出来るようになって、どちらかというと、年下の人たちを指導するような立場になっています。
学生に戻るということは新入社員のような立場になるということで、先輩から言われたことをただこなすだけみたいなもの。
先生から言われたことをだけをやっていればいいなんて、なんて楽ちんなんだろう。
特に今年は科目履修生なので、ゆるーーい気持ちになっているのでしょう。
いつまでもこの感じが続くわけではないのでしょうけども。

今年、リリースされた小沢健二とスチャダラパーのぶぎ・ばく・べいびーの歌詞に「あぁ 大人になろう 子どもでいよう 考えたじゃない」と言うのがあるけども、あの頃じゃなくて、今、そんな感じだなあ。


社会人になってから学生に戻るということは、私にとっての冒険なんだろうと思います。
この冒険で得られる、「生命をもたらす霊薬」とは何だろう。
私は今、冒険に出ているのだ、と自覚して、この時を過ごしてこうと思います。


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