湖北の風景9 阿那郷 吾名邑
黄砂でおぼろな薄雲りの4月。
国道8号線長浜バイパス沿い、顔戸(ごうど)交差点付近に堂々と立つブロンズ像。
突然ですがみなさま、こちらのみずら髪の男性、どなたかご存じでしょうか。
ヒントは、赤子を抱いていますね。赤子はのちの神功皇后です。
(正解は記事後半)
1.アメノヒボコ
2.ヤマトタケル
3.オキナガノスクネ
正解は、3
息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)
滋賀県米原市から長浜市にかけての琵琶湖北部一帯を治めていた豪族息長氏の長。娘は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)で後に仲哀天皇の皇后となる神功皇后(じんぐうこうごう)その人だと言われています。
ふ、地元民でも正解できまい。
ちなみに、
神功皇后から見て1.天日槍(アメノヒボコ)は母方の祖先(新羅の王子)
2.日本武尊(ヤマトタケル)は義父(夫の父親)にあたります。
(諸説あります)
この場所のモニュメントはそんなに古いものではないようですが、
言ったもん勝ち、建てたもん勝ち感は注目に値しますね。
数百年立ったら伝説も史実みたいになっちゃうかもね。
そういう伝説の仕立て人に私もなりたい。(極悪非道)
つまり、
新羅から渡来した天日槍が住む場所を求めて近江国吾名邑(あなのむら)にしばらくとどまった。
天皇の系譜に絡んでくるVIP古代豪族息長氏の拠点だし、この地がその阿名邑だと主張する石碑です。
(候補地は他にもあります)
「あな」のむら
鉄穴や穴窯、つまり製鉄や窯業を連想させる名です。
蛇を守護神としていた(らしい)息長氏のルーツに想像が広がりますね。
白蛇は神の遣い、確かに祖父母がよく言ってたな。財布に蛇の抜け殻入れたり。
ところで神功皇后(じんぐうこうごう)とは
応神天皇をお腹に宿したまま三韓征伐を果たし皇位継承クーデターにも勝利した日本神話の戦女神であり聖母(しょうも)。
卑弥呼にも比定されたりする女傑。(卑弥呼って戦ってたっけ?)
たとえフィクションであってもかなり惚れるカッコ良さです。
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