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障害者殺しの思想

『障害者殺しの思想』
著:横田 弘 解説:立岩 真也   

「差別」とは、社会全体がその行いに気づかないことで「差別」たり得るのだとこの本に思い知らされる

以下、抜粋

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1978年2月9日
また、一人、障害児が殺された

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体の不自由な子供がいるとは思えないほど明るい家庭で、

こうした書き方をする考え方自体に障害者を抹殺していく論理が隠されていることをこの記者は知らないのだろうか。

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「障害児殺し あんなに尽くして……犯行の母に同情の声

「献身の母、看病に疲れ?身障の息子絞殺『私も死ぬ』と姿消す」

はっきり言おう。
障害者児は生きてはいけないのである。
障害者児は殺されなければならないのである。
そして、その加害者は自殺しなければならないのである。

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障害児を産んだ「家庭」は、このようにみじめな結果しか生まないのだということを証明するためだけに、この記事は書かれたのだ。

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加害者が、何故勤くんの通っていた養護学校の近くで死を選んだかを考えてみるがいい。

加害者が、何故毎朝養護学校に勤くんを送って行かなければならなかったかを考えてみるがいい。

加害者が、何故バス停まで押して来た車イスを置いて勤くんをバスに背負い上げなければならなかったかを考えてみるがいい。

加害者が、何故「私達が死んだあと、この子はどうなるのかしら。」と言わなければならなかったかを考えてみるがいい。

勤君が校区の学校に就学していたら。

勤君が車イスを路線バスがスムーズに乗せていたら。

勤君の存在を地域の人びとが何気なく受け入れていたとしたら。

そして、何よりも障害者児の存在を社会全体が位置づけていたとしたら。

勤君と加害者は、死ななかっただろう。殺されなかっただろう。

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周りが寄ってたかたって殺した

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勤君は、母親によって殺されたのではない。
地域の人びとによって、養護学校によって、路線バスの労働者によって、あらゆる分野のマスコミによって、権力によって殺されていったのである。

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事件が起きてから減刑運動を始める、そして、それがあたかも善いことであるかの如くふるまう。なぜその前に障害児とその家族が穏やかな生活を送れるような温かい態度がとれなかったのだろう。私たちが一番恐ろしいのは、そうした地域の人々のもつエゴイズムなのである。


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