夫婦会議・色々覚え書き①
先々週の土曜は久しぶりの夫婦会議だった。
息子は実家にお泊まりさせて、たっぷり時間をかけて話し合った。
夫の鬱、それに伴う私の鬱、そしてこれからのこの家のこと。
ほとんどの時間は夫の鬱対策に終わったが、私も言いたかったことが言えたので、お互いに結構満足感のある話し合いだったと思う。
夜は数個隣の駅まで足を運んで、2人美味しく鰹の藁焼きを食べた。
夫の鬱は今に始まったことではなく、振り返って見れば結婚前からその不安定さは露呈されていたわけで(似たもの同士の結婚)、いざ病院で薬を貰ったからといって根本的に治るものでもない。
仕事で上司から評価されれば“普通(ちょっと特別?)”になれて、評価されなかったり叱責されたりが続くとドスンと“鬱”になる。というのを、夫はずっと続けている。
これは、自己評価よりも他者評価で自分の価値を決める「不幸になる考え方」というやつで、色んな本や動画で説明され尽くしているハナシなので、きっと本人だって何度も目にしたことがあるはず。
なのに、現実はちっとも改善しない。
側から見るといっつも同じことを繰り返しているのだが、彼から見る世界では、目の前の仕事の案件や出来事が違うのだから、気持ちが落ち込む原因もまたそれぞれ違うように見えるのかもしれない。
原因はもっと根本的なところだろう、と私なりに考えてみて、
【“ADHD”と“アダルトチルドレン”的な要素から来る認知の歪み】というところで(私の中では)落ち着いている。
だから、夫にも「もっと自分の特性を知ったらいいし、自分の幼少期の感情とも向き合ってみたらいいよ」と伝えた。
のだが。うん、あんまり響かない、、、。
“ADHD”については事前に私が用意した数冊の本の中から一冊だけ興味を示したのだけど、“アダルトチルドレン”については全く、というか拒絶?されてしまったような感じ。
“ADHD”は自分でも自覚があるのだが、「幼少期の親との関係がうんぬんかんぬん、、」となると、は?何それ?関係なくね?って印象。そもそも幼少期の記憶なんてものが、ぼんやりしていてあまり出てこないらしく、、。
親との関係性を問題視することにタブー感があるのかも、、別に親を悪者にしろって言ってるわけじゃないんだけどな、、。
こういうのは、やっぱ周りが何とかしようとしても無理がある。
本人が強い興味を持たなきゃ、その価値が伝わらない分野。
私だって、ドッカーンて青天の霹靂みたいな出来事があってやっと、歪みまくりな自分の認知に気づいたわけだし、また気付いてからが長くって、時間をかけて自分の性質や過去と向き合う必要があったし、それをやったからって現実を思うように動かせるようになったわけでもない。
でもねその価値は、今、分かるんだ。すごく。
夫はきっとまだそのタイミングじゃないんだろうし、そうする為の時間も、仕事で頭がいっぱいで捻出できないのかもしれない。
平日の夜間パトロールや休日の外出程度では、心の余裕が生まれないんだ(だから休職しちまえって言ってるんだけど)。
とりあえず、自分を客観視する練習からやってみよ!ってことで、リビングのテーブルにA3の白紙(カレンダーの裏)とペンを用意して、頭の中のモヤモヤを全部書き出してもらった。頭の中のゴミ捨て&整理整頓。
このモヤモヤを書き出す作業、だいぶ前から提案してたものの、夫ひとりだと一向にやる気配がなくて(部屋の片付けをやらんのと同じ仕組みか?)。
私は誰かの前でそれをやるなんて考えられないんだけど、夫は私と違うんだなぁってしみじみ思った。
あれこれ私と話しながら書き出した内容はというと、
「自信がない」「不安」「幸せを感じられない」「傷付いた」、、、うん、鬱の人が書いてるんだからそうなるよ、ねぇ、、。心が痛む。
でも、建設的なことも考えてみる→「会社を利用するくらいで丁度いい」「ボランティアや副業をやって自分の居場所を作る」etc.
地味な作業だけど、頭がごちゃごちゃなタイプの人間には意味のあることだと思う。
発達障害気味の甥っ子のことで、姉が言っていたのを思い出す(育児書に書いてあったらしい)。
「あの子はね、“困った子”じゃなくて“困っている子”なんだって。」
夫も、“メンタル弱くてアルコール依存の困った人”ではなくて、ただただ“自分の性質に困っている人”なんだろう。私も似たようなもん。
この作業(ワーク?)は、土曜日に毎週やることにした。
早速私は先々週と先週の分の、このモヤモヤが詰まった紙をファイリングしている。いつか、このファイルがパンパンになったとき、少しは夫の心に変化が起きていることを願いながら。
さて、次は私の憂鬱について。