久しぶりにnoteを書く。ほぼ1年ぶり。 最後に記事を書いた後、近所で梱包のパートを半年間やった。 なんと10年ぶりくらいの労働。 あんなに働くことを怖がっていた私だけど、“なんだかんだパートをやれて良かった〜”なんて感謝の気持ちで辞めることができた。進歩よ。今度ちゃんと記事にしたい。 今はまたパート主婦から専業主婦に戻ってのんびり時間を過ごしてる。 以前と違うのは数ヶ月後に離婚を控えていることと、この住処が売却物件になっていること。 ずーーーーーーーっと抱えてきた私の離
この2週間はあっという間だった。 実家に顔出してみたり、いつものように夫に振り回されてみたり。 それと、10年ぶりに履歴書なるものを作ってパートの面接もした(希望とマッチしなくてその場で落ちたけど)。 だから、こうして文章にしたいことはそれなりにあった。 でも、そういうときほど書かなくなるものなんだなぁ。 “後で後で”で今日になった。 こうして文章化するのは、心の整理整頓。 せっかくのSNS。誰かに読んで貰えたらそりゃあ有難いけど、そもそも人様の興味を引く内容とはかけ離れた
今週も夫は在宅勤務。 思っている以上に私はストレスを溜めているらしい。 夫婦の仲が悪いわけじゃない。 夫に嫌なことを言われたわけでもない。 それでも蓄積していくストレス。 頭の血管がプチって切れてしまいそう。 平日なのに夫が家に居るということが気になって、自分のやりたい事に集中できない、というのが表向きの理由。 もっと根っこの部分では、“働いていない罪悪感や劣等感を刺激される”ってこと。 “罪悪感”と言っても私が勝手に抱いているだけであって、「なんで働かないの?」とか「い
ショック。 夫がまたもや会社のPCR検査で陽性(無症状)になってしまった。 よって来週も在宅ワークが決定。 夫も私もそれぞれの事情で重たい気持ちになっている。 “ギリギリ夫婦”を続ける我々に対し、このコロナ禍はなかなかの試練を与えてくださる。 世間を見る限り、コロナ禍はまだまだ続くよどこまでも。 というか、これからインフルエンザも加わって大いに盛り上がる季節。 また緊急事態宣言とか休校とか、ないよね? 勘弁して欲しいってみんな思っているはずなのに、終わらない閉塞感。 でもこ
今日はだいぶマシなのだけど、ここ1週間以上体調不良が続いていた。 この長引く感じ、ただの風邪では無かったようだ。 というか、夫が会社のPCRでコロナ陽性を出したから、私もコロナだったかも。 てか、コロナってなんなのか、いまだによく分からない。 仮に今回の風邪がコロナだとして、体感としてはインフルエンザと同じ。 症状の経過が過去のインフルにかかった時と同じだから。 てか、やっぱインフルエンザと何が違うん? 検査すれば何かしら答えがでたと思うけど、病院には行かなかった。面倒だし
湯冷めした息子が発熱し、そこから夫、私、と寝込んだ。 男性陣は1日寝込んで回復したのだけど、私は免疫の仕組みが違うのか動けるようになるまで2日かかった。 専業主婦が寝込むと問題になるのは家事をやる人がいないこと。 『洗濯山盛り&誰がご飯作るの台所は既にぐちゃぐちゃダヨ問題』とも言う(てか今考えた)。 今回は幸運なことに、出社を止められて在宅ワークだった夫が、息子の夕食を用意してくれた。 私が一番しんどかった水曜の夜のことである。 巷ではこういうとき、「俺の飯は気にしないで」と
夫は時々リモートワークをする。 決めるのは大抵その日の朝。 前日の夜に「明日は朝早く出るから」なんて言っていても、翌朝起こしに行くと「やっぱ家でやる」などと布団の中から返事が来たりする。 コロナのおかげでリモートが自然に選べるようになって、クソ真面目な夫も少しはストレスを回避できるようになったのかなぁ、なんて思う反面、専業主婦の私としては“ウゲゲゲ〜”って気持ちから始まる朝である。 土日の『家族の音』から解放され、月曜のリビングに広がる静寂。 好きなYouTubeをラジオ代
着々と物価が上がっている。 半年ほど前、“秋には食糧危機がやってくる!!”なんていうタイトルのYouTube動画がたくさん上がっていたので、私も防災対策を兼ねてまとめ買いするなど食糧の備蓄に励んでいた。 今のところ日本では食糧危機という程の深刻さはないけれど、スーパーの棚に並ぶ食品価格を見る度にひるんでしまう。このままモノの値上げは続きそう。。 41年生きてきて、バブル崩壊や就職氷河期など色んな社会問題があったように思うけど、幼かったり無関心だったりで、全然実感が無かった。
夫の立てる物音で午前4時過ぎに目が覚めて、そのまま眠れなくて今に至る。 昨夜は帰宅が遅かったようだが4時ごろにドタバタやっていたことを考えると、また先週みたいに湯船の中で眠っていたのかもしれない。 どうも夫は冬になると湯船の中で朝方まで眠る習性があるようだ。 そのうち死んでしまうのではないかと怖くて、去年は真夜中に風呂場で眠る夫を何度も起こしに行った記憶がある。 起こしに行ったところで、返事するだけで起きてはくれず、大声で喚いた自分だけが深夜覚醒し、寝付けず、なんだかなぁ…っ
某作家さんの事務所で2年弱、働いたことがある。 私の職歴の中で唯一の「正社員」の過去であり、最長のお勤め年数である。 業務内容は雑用全般、というか世話女房的なことで、その他のスタッフさん達にまみれて、ひたすら先生をサポートするという仕事だった。 入社したとき、ボスである作家先生に聞かれた。 「で、君は何ができるの?」と。 事務所に出入りしていたのは外部委託の“特定の何かができる人”で、私のように(あまり意味のない)学校を卒業したばかりの、何の経験も特技もない人間はとても珍し
今日はとっても良い天気で大変気分がよろしい。 天気に気分を左右されている自分について思うと、なんていい加減なものなんだ…と力が抜けてしまう。 ザーザーと雨のように降ってくる雑多な思考に追われているときは、自分の気分の良し悪しは外部の誰か・もしくはその集まり(社会)のせいだと思ってしまう。 昨日あんなことがあったから、前にあんなこと言われたから…。とか。 でもこんなに良く晴れた日には、それらぜーんぶ勘違いだよって種明かしされたような気持ちになる。 うん、もう何もかもが天気のせ
※この文章は、働きたくない人のお金の稼ぎ方について解説するわけではありません。無能があれこれ考えるだけで何の糧にもなりません。 私は無職。無職主婦。 専業主婦とも言えるけど、子供が大きくなったのでニートに近くなってきた。 家事は一応やるけれど、そんなにきっちりやれるタイプじゃない。 さすがにそろそろ生産性のあることをして社会と交わっていきたい。 なのに、人生の節目節目で実家にお世話になったりしていたためか、いまいち外で働くイメージが湧かない。 なけなしの過去の経験を持ち出し
日付が前後してしまうのだけど、前々回のblogの続き。 私の欝について。 “鬱”と言えども、夫と違ってお薬に頼るほどのものではない。 「適応障害」的なものだったのかな、今はもう大丈夫になった。 夫がまた私に不安や愚痴をこぼしてくるようになり、それを聞いて励ましたり、逆に逃げたり、そんな日々が続いていた。 もうとにかくこの陰鬱な状態の夫が苦手過ぎて辛い。 芋蔓式に過去の嫌な記憶と結びつく。しんどい。 怖かったこと。悲しかったこと。うんざりしたこと。 最近だと本人もトイレもう
昨日は先週分のワークをやっていた。 提案したのは私だけど、夫は自分から「アレやろう」と言うようになった。 頭の中の整理整頓タイム。 ワーク、といっても私自身はテーブルに紙とペンを置いて、椅子に座り、“否定される”とか、“喋るのが怖い”とか、“酒を飲むと楽になる”とか、色々書き連ねる夫の話し相手になるだけだ。 夫は再び上司に批判されただかなんだかで、漆黒の海を泳いでいた。 夫がいつも同じようなことを言うように、私もまたいつもと同じようなことを言う。 私の究極の結論は「鬱な
先々週の土曜は久しぶりの夫婦会議だった。 息子は実家にお泊まりさせて、たっぷり時間をかけて話し合った。 夫の鬱、それに伴う私の鬱、そしてこれからのこの家のこと。 ほとんどの時間は夫の鬱対策に終わったが、私も言いたかったことが言えたので、お互いに結構満足感のある話し合いだったと思う。 夜は数個隣の駅まで足を運んで、2人美味しく鰹の藁焼きを食べた。 夫の鬱は今に始まったことではなく、振り返って見れば結婚前からその不安定さは露呈されていたわけで(似たもの同士の結婚)、いざ病院で
今朝、数日ぶりにストレッチをやって思ったこと。 昨日はなんだか自己嫌悪な1日だった。 雨なのと前日の夜の不快な記憶を引きずっているのと生理前なのと…。 理由は色々思いつくのだが、せっかくあった大量の自由時間を有意義に使えない。 1日が終わる頃には自分に対して諦めのような態度になっていて、ひたすらYouTubeを観て終わってしまった。…まぁ、いつものことね。 気を取り直す意味もあって、今日は早起きしてストレッチをした。 天気は晴れて気分がいい。 まだ誰も起きてこない静かな部