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イデオロギーに振り回されない
今回はイデオロギー(政治思想、社会思想)について考えたい。
日本という国はイデオロギーが強いと極端な思想を持ち、他の思想に対して排他的なんじゃないか?と思うような傾向がある人が多いのではないか。
これは日本の歴史的背景、メディアの影響、戦後から続く教育などが大きく影響していると考えられる。
実際、個人としても作家としてもそうしたイデオロギーが強い思想性は特にないのに、やはりそうした誤解を招かないよう発言には慎重になる。
昨今の社会情勢を見ていると様々な思想的なイデオロギーがねじれて、話がややこしくなっているように思う。
これは特に政治の場合だと顕著に話がややこしくなるから、本当に必要な政策が前に進まなかったり、そもそも議論に上がらなかったりもする。
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では、こうしたイデオロギーのような思想性が普段の日常の中で一切僕らに関係ないのかと言われれば、そういう事でも決してない。
身近な商品やブランドにも企業理念思想はあるし、社会活動や普段目にするメディアにもある。そして、普段何気なく対話する人間関係の中でもそうした思想性はある。
そして、その良し悪しを無意識のうちに刷り込まれたり、関わったりしていることもあるだろう。
なぜイデオロギーについてここまで考えるかと言えば、それは自分自身が多くの人と関わり、そして社会へ発信していく状況になったことが大きい。
もはや、SNSでの発言で炎上しないように慎重になったり、ひとつの物事に対して、冷静に様々な情報を見ながら精査すると言うことが当たり前になってきているような気もするけれど、実際はどうなんだろうか?
その判断に偏りが出た時が注意しなくてはいけない。
そして、そうしたイデオロギーの偏りをきちんと理解しながら、見極める力が必要だと思う。
これは、世の中の流れ、個人の思想などそうしたものに全て当てはまる。
アトリエマーブルという場所が誰もが安心して遊び過ごすことができるというのは、そうしたイデオロギーの透明性が必要不可欠なんではないかと思い、今回話を取り上げてみた。
未来が明るくなるような対話がしたいよね。
ただそれだけ。