なぜ「芸術大学」が存在するのか
画家のキナです
今はいろんなジャンルで大学が用意されている時代
「そんな仕事があったの?」というような部分の分野も、専門分野として大学があります
芸術もまた然り
特に資格試験や国家試験がない芸術の分野(教員は別ですが)
ではなぜ芸術大学は存在するのでしょうか
芸術大学で得られることは人間の営みと生きる意味そのものを考える力だと断言します
少し抽象的ですね
これは絵が上手くなることや歌が上手くなることとは全然関係がないです
芸術大学で学ぶことは「なぜ絵を描くのか、なぜ歌うのか」という人間の行動に対して学んでいく場になっています
この「なぜ」を考えるためには哲学であったり、社会学であったり、人文学であったり、考古学であったり・・・たくさんの専門が複合している科目です
この「なぜ」を使った仕事は、実は10年以上も前から欧米では病院や企業コンサルなど色々な場面登場しています
「芸術」を活用した取り組みということで現役のアーティストが企業と一緒にプロジェクトを進めるということも主流になってきています
それに比べて日本の芸術教育と社会体制はとっても遅れているように感じています
芸術大学に通いたい理由を聞くと「絵が上手くなりたい」「○○先生のレッスンを受けて上達したい」など技術的な部分を大事にしている人が多く、また評価する側も「基礎がしっかりしている」とか「形がしっかり取れている」という技術面を褒める傾向にあります
もちろん芸術大学に入った以上は技術の習得は必須でしょう
ですが、技術習得だけで止まってはいけないということです
技術を磨く過程で何を感じて何を得ることができるかということを学ぶこと
その感じたことや得たことをどのように人と共有するか、そしてどのように社会と繋げていくか、ということが一番大切な課題です
その時間と課題を与えてくれる場所が「芸術大学」の役割の一つだと考えています