科目を横断する ~ 現代文と倫理のコラボ授業
伊藤亜紗さんの『手の倫理』に関連して、以前このような記事を書きましたが、3学期の授業で高校の現代文とコラボする授業実践を行いました。
経緯としては、2学期末に私の方から現代文の先生にコラボを提案したうえで、高2現代文の3学期の題材を倫理の観点からも考察しやすいものに寄せていただいたという感じです。私が昨年度(高1の時に)倫理を担当した顔見知りの生徒が多かったため、コラボしやすかったという事情もあります。
そんな訳で、現代文の先生に選んでいただいた題材が大江健三郎の『他人の足』という短編小説です。
この短編小説は、「学生」が脊椎カリエス療養所の未成年者病棟に入ってきてから出ていくまでの一部始終を「僕」の視点から描いた作品です。「新潮」1957年8月号に掲載された大江の初期作品で(大江が20代前半の時の作品)、私も今回初めて知りました。こういった作品をじっくり読むのも久しぶりの経験でしたが、「監禁と脱走」「障害者のアイデンティティ形成と連帯」をめぐる問題を1950年代の時点で浮かび上がらせている点は先見の明があるなと感じました。
時間割の都合上、全クラスの現代文の授業にお邪魔して直接解説することはできなかったので(本当は対談ができれば一番良かったのですが)、私が動画授業で解説を行い現代文の授業に組み込んでもらう形を取りました。動画では、「病者のアイデンティティ」「身体の現象学と触覚の倫理」「病棟における監禁」などの論点を倫理学・障害学・社会学の知見を交えつつ紹介しました。さらに、期末試験でも私の動画授業に関連する内容を出題していただくことで、単なるイベント的なコラボに留まらないようにしました。内容のすり合わせは割と大変でしたが、コラボとしては一貫性のある内容になったのではないかと思います。
『手の倫理』の他に参考にした文献は、以下の通りです。
倫理と現代文のコラボは他には授業実践例が見当たらなかったのですが、倫理を学ぶと現代文(特に評論文)が格段に読みやすくなるというメリットがあり相乗効果が期待できるため、今後さらにチャレンジしていく余地があるなと感じました。
なお、政経の方では家庭科や数学とのコラボ例が紹介されている他、晃華学園のようにコラボ授業を教科教育の中に正式に組み込んでいる学校もあります。中学「公民」や高校「公共」「政治経済」を担当した際には、別の科目とのコラボにも挑戦してみたいところです。
※公民科と家庭科のコラボ例としては、以下のような実践が紹介されています。
今後は「時間割」や「教科の縦割り」がますます融解していく方向に進むだろうと思いますが、他の教科の学びにもアンテナを張りながらこうした越境の可能性をさらに追究していければと考えています。