「あたらしさと」新しい形の故郷のあり方
私は東京在住、共働きの妻と3人の子を持つデザイナーです。出身は、熊本県玉名市の石貫という田舎です。今、この故郷の地を父から継承し、どのように残していくべきかを検討しています。
「あたらしさと」は、これからの故郷の残し方、新しい里の作り方を考える実験的プロジェクトです。
今回の記事では、その考えに至った経緯を紹介し、今後は各プロジェクトの詳細をnoteに綴っていきたいと考えています。
熊本県玉名市石貫とは
熊本県の北部に位置する人口6万人の玉名市。その中心市街から程近く、典型的な里山と田園風景が残る地域に、生まれ育った石貫があります。
石貫は、自然林が豊かでハイキングも親しまれる小岱山(しょうだいさん)の麓に位置します。名水百選にも選定される菊池川の支流、繁根木川(はねぎがわ)が流れ、その川沿いには春になると見事な桜並木が見られます。
山から注ぐ清らかな水を使って、古くから米作りが行われてきました。近所に今でも現存する多くの古墳は、古来から人の営みがあることと、災害の少ない安全な地盤をもつことを意味しています。
このような場所は日本全国の田舎にとっては、一見よくある風景かもしれません。でも私にとっては、かけがえのない故郷でもあります。
「ふるさと」の価値
そもそも、故郷(ふるさと)って何でしょう?なぜ、そこに特別な価値を感じるんでしょうか?
3つの要素がある気がしています。
思い出の食
心安らぐ場所
気楽な人との関係性
美味しいものも(言ってしまうと)東京にはいくらでもあります。なぜ、故郷の味に価値を感じるのか?その一つは、思い出が詰まっているからじゃないかと。
そのお米がどんなところで作られたか記憶にあり、その過程で楽しい思い出が詰まっていれば、それは忘れられない思い出の味に変わります。
また、ゆったりのんびり、心が落ち着く場所であること。自然の力は普遍的に、人間を落ち着かせる効果を生みます。生活の中で自然が近くに接していることが、安らぎを感じさせるのではないでしょうか。
そしてそこには、食べ物や環境だけではなく、家族や友人、顔馴染みのお隣さんがいる。「あら、帰ってたのね。お帰んなさい。」そんな何気ない会話がやり取りされる。ストレスフリーな関係性によって体験する全てが「ふるさと」という言葉に物語られている気がします。
新しい形の「ふるさと」のあり方
そんな故郷も時代の波には逆らえず、唯一の地元スーパーは閉店、母校の小学校も廃校してしまった。嘗て、夕方になると下校する小学生が駆けめぐる光景は見る影もなく、寂しい限りです。
この変化に対して、どう向き合っていくべきか?
ここで少し、世間一般の話に視野を広げます。
地方では地域創生をめざし、UターンやIターンなどによる移住促進に力を入れています。
しかし、現実はそんな簡単な話ではありません。「仕事は…?子供の学校は…?」「今の(都市部での)暮らしをリセットすることなんて、なかなかできない」
Uターンするか?手放すか?
上京して家庭を持った(私のような)既に里を持つ人の悩みがあります。
一方、都市部に住む人は、場所を問わない働き方が普及する中、ワークスタイルやライフスタイルを変えたいと考える人も増えています。
しかし、「田舎暮らしや米作りに興味はあるけど、一人で始めるなんて自信がない」「地域の人に溶け込めるだろうか?」「維持していけるだろうか?」
Iターンするか?諦めるか?
都心部で生まれ育った人の中には、里を持ちたい人の悩みもあるでしょう。
そんな、それぞれの立場に対して、時代に即した最適な解が導けるのではないかと思い至りました。新しい形の「ふるさと」のあり方を探ってみよう。
再び、我が家の話に戻ります。
父は会社員時代の1990年代後半から、所有地の田んぼや空き地にアパート建設をはじめ、地域の高齢化や人口流出に強い課題感を持って、積極的に地域おこしにも貢献してきました。早期退職後は、無肥料・無農薬の米や野菜作りに取り組み、2004年には木造の店舗を建設、農産物直販と憩いの場「ファームステーション庄屋」をオープンさせました。
2011年の東日本大震災をきっかけに、関東から九州への移住希望者も両親は積極的に受け入れ、支援してきました。移住者の中にはコミュニティーカフェをやりたいという人が現れ、庄屋を貸し出し、昨年までの十数年間、週末だけの地域憩いの場として使われてきました。
石貫の美しい環境と両親のオープンな性格に惹かれ、無肥料・無農薬の米に興味を持つ人々が集まり、協力して米作りを始めました。両親の地元での人脈を活かし、地主から耕作放棄地の田んぼを借りることができ、グループメンバーは平日は仕事をしながら、週末に集まって作業を行ったり、分担したりしています。このような活動は、10年以上にわたって続けられています。(この詳しい話は改めて)
上京してから二十数年、石貫を離れている間に、少子高齢化によって人影も少なくなった風景の裏で、我が家の周辺には新しい人々によるコミュニティーが生まれていて、その人たちにとっての里が形成していたことに気づかされました。そこには食が関わり、気兼ねない人たちとの関係性による、楽しい時間と場所が存在していました。
これは、私にとって故郷を維持することだけでなく、より多くの人にとって新しい里を作る仕組みになるヒントを得た気がしました。
里の新しい価値を見出し、創造的な進展を探る
私はこれまでデザイナーとして、利用者の経験価値を向上させる仕事に携わってきました。今後は、その知見を活かし、先祖から受け継いだ地域資源を誰かのために価値ある経験にデザインすることに挑戦してみようと思います。
50年後や100年後、私の子供や孫が、どこに住んでいて、どんな仕事に就いているかはわかりませんが、彼らが同じような悩みを抱えることなく、「ふるさと」の特別な価値を失わずにいてほしいです。
さらに、日本各地で同じような思いを抱く人々と出会い、地域の課題解決に役立つ知識を共有することができれば、それはさらに喜ばしいことです。
地域の里を維持するだけでなく、新しい価値を見出し、創造的な進展を探る実験的な取り組みが「あたらしさと」です。
次回の記事では、その具体的な取り組みについて紹介をしていきます。
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