与え合う交渉とバイアス~もうどうにも止まらない
5000円札オークション
今回は相談ではなく、私から皆さんへの質問です。これは交渉の世界では有名な20ドル札のオークションの例をわかりやすくしたものです。
30人がいる部屋に自分がいると想定してください。これから、私が持っている5000円札をオークションにかけます。このオークションに参加するかどうかは自由です。金額のつけ方は500円単位です。一番高い値を付けた方が、この5000円札を競り落とせます。普通のオークションと違う点は、2番手以下の値を付けた人もその金額を実際に支払わないといけません。たとえば、Aさんが一番高い3000円、Bさんが2番手で2500円を付けた場合、Aさんは私に3000円を払って5000円を受け取れますが、Bさんも私に2500円を払わなければいけません。入札ではなくてオークションなので、BさんがさらにAさんを上回る3000円以上に金額を再度提示するのはもちろん自由です。さて、あなたはこのオークションに乗りますか?乗るのであれば、いくらまでなら競り合いますか?
おさらい
恒例のおさらいですが、交渉するためには3つのステップを踏まなければいけません。
①自分の目標は何か、②相手は何を考えているか、③相手と「何を」「どう」与え合うか、という点です。
①「自分の目標」は、「交渉前には持っていなかったもので、交渉後に持っていたいもの」のことです。交渉で何をしたいのか、そのゴールを最初に決めておく必要があります。
②「相手は何を考えているか」では、相手が何を考え、何を交渉の目標に置き、何を重要とみているのかを理解しなければなりません。そのためには、(ⅰ)相手の話をよく聞き、(ⅱ)相手に適切な質問をすることが必要です。8割は相手の話を聞くことに集中し、2割だけ質問を交えながらこちらの話をします。また、話を聞いたりこちらが話すとき、あなたも相手の感情的になってしまうことが多いので、どういった感情が生じるのかを理解し、できるだけそれで上手に「付き合う(≠排除)」ということが必要です。
バイアスとはなにか
さて、これまで、自分のことを知る方法や、相手のことを知る方法について考えてきました。お互いの情報を知ることができれば、そのなかで一番合理的な解決案を選べば、それで交渉は終わるようにも思えます。交渉が情報戦だと言われている点もここにあります。
ですが、一番合理的な解決案で合意ができる場合というのは、あなたが合理的な考え方ができる方で、かつ相手も合理的な考え方ができる場合に限られます。
人は、必ずしも合理的な行動ができるとは限りません。あなたも相手も、必ずしも合理的な行動ばかりするわけではないというところが、交渉の難しいところでもあり、面白いところでもあります。これまでブログで考えてきた、あなたや相手の感情についても配慮するというのも、人が必ずしも合理的ではなく、感情で動いてしまういきものだからです。
そして、感情以外にも、人を「非」合理的にふるまわせてしまうものがあります。
それが、個人個人に、深く刻まれ、染み込んできた、意思決定のバイアス・偏見です。
どんな人でも、深く染み込んだバイアスがあって、そのために目前のチャンスが見えなくなっていたり、交渉のもつ可能性を十分に引き出せなくなっていたりします。これはとてももったいないことです。
あなたが合理的に、冷静にものごとを考えることができる人であれば、相手の不合理な行動が、理解できないという事もあると思います。そういうときに、一見すると非合理的な相手の行動も、人が陥りやすいバイアスにかかっているためと理解できれば、対処をすることができます。
バイアスには、いろいろなものがあります。一番典型的なものは、これまでブログの中で何度も説明している「パイの大きさは決まっている」という思いこみです。交渉は、ひとつのパイを巡る奪い合いであるという思い込みから抜け出そうということが、与え合う交渉の出発点でした。一つの大きな綱を引っ張り合うのではなく、一つひとつにひも解いて分け合おうという考え方です。
今回は、あなたが最初になんらかの行動方針にコミットしてしまうと、それがもう最大のメリットがある選択肢ではないことが明らかになってからも、どうしようもなく深入りしてしまうというバイアス(「理性なきエスカレーション」「サンクコスト」)について考えてみたいと思います。
理性なきエスカレーション~もうどうにも止まらない
人は、最初に決めた方針にこだわってしまいがちです。一度、「こうだ」と決めてその方針で進んでしまい、時間と労力をかけてしまうと、それが間違っていると後で気がついても、それまでにかけた時間と労力を気にしてしまい、なかなか方針転換ができなくなります。「もう少しやれば、成果がでるんじゃないか、ここでやめるのはもったいない」と自分自身を納得させて、ズルズルと続けてしまうわけです。
かつて、ある航空会社が、マイルというポイントプログラムを開発しました。顧客の再利用率を高めて、利益を上げるために、一定の利用に応じて無料のチケットをプレゼントするというものでした。ところが、ひとつの会社が始めると、当然業界のどの航空会社も始めることになります。その結果、航空会社の間でのマイルサービスが過熱し、マイルの付与数も2倍、3倍とどんどん増えていき、気が付いたら、もともとは顧客に再度利用してもらうことで利益を上げるはずの制度が、無料利用者の数が増えすぎて、マイルプログラムを始める前よりも利益が減ってしまうという事態に陥ってしまいました。どの航空会社も、マイルプログラムを止めたほうが良いのではないかという心の声に対して、「ここで止めたらこれまでの分が無駄になる、顧客が全部他に移ってしまう」と自分を無理やり納得させて、止めるにやめられないまま、過熱していくことになったわけです。「これくらい大きなプログラムを打ちだせば、他社は追いつけないはずだ」と考えて、もっと過大なサービスを展開し、それに他者がさらに上乗せした過大なサービスを展開する、まさに底なしの競争の始まりです。牛丼屋の価格競争も同じでしょう。
このようなことはビジネスに限った話ではありません。日常生活でも、一度お金や時間をかけてしまったら、「ここでやめるともったいない」と思って、退くに退けないといったことは、あなたも経験があるのではないかと思います。
サンクコストの罠
あなたがもう止まらない状況に陥ってしまっているとき、それはサンクコスト(埋没費用)にこだわっているためです。
一度失われた時間やお金を取り戻すことはできません。「覆水盆に返らず」です。それでも、あなたは前に進まなければなりません。このとき、考えなければいけないのは、「過去に」あなたがどれだけの時間やお金を使ったかではなく、「これから」どれだけコストがかかり利益が得られるかだけです。言い方をかえると、過去にあなたがどれだけ時間やお金を使ったかは、これからのことを考えるうえでは、無視してくださいということです。
誤解しないでほしいのは,あなたの過去の努力を否定するということではないということです。人が歴史を学ぶのは過去の過ちを繰り返さないためです。過去から学び必要はあります。ただ,過去にあなたが費やした犠牲は、あなたがこれから得るあるいは失うものとは無関係です。ここを間違えてはいけません。過去に学ぶということは、過去にとらわれるということではないのです。
冷静なあなたであれば、このようなサンクコストの罠にははまらないかもしれません。ただ、相手がこのような罠にはまってしまっている可能性はあります。どうすれば、このような罠にはまらないようにできるのでしょうか。
不利なものは見えない
いったん自分の方針を決めてしまうと、その方針に味方する証拠や事実ばかり集めるようになり、その方針に反する証拠や事実は見ようとしなくなります。
そこで、方針を決めた際には、その方針に反する証拠や事実も、味方する証拠や事実と同じくらい積極的に集めるように意識をすることが非常に大事になります。自分の方針が本当に交渉の目的に合っているかどうか、常に検証をしていくことが大事です。
私も、弁護士の仕事をしていると、ついつい自分にとって、有利な証拠にばかり目が行きがちで、自分にとって不利な証拠や事実を見落としてしまうことがあります。そのため、有利な事実以上に、まず「自分の主張にとって不利な事実や証拠は何か」という視点をもつことを常に気を付けています。
これはなにも、弱気になれということではありません。バイアスは本能に働きかける非常に強力なものですから、そういったバイアスがあることを理解し、慎重になってほしいということです。
相手が、もう止まらない状況に陥ってしまっている場合、相手の目には、相手の方針にそった相手にとって有利な事実や証拠しか映っていません。そのため、相手の目に入るように、あなたは、相手がバイアスに陥っている可能性があること、相手の方針に反する事実や証拠もあることを、粘り強く伝えていく必要があります。その結果、相手のバイアスが解消されれば相手に合理的な対応を求めることになり、ひいてはあなたの利益にもなるということです。
自分以外の目を通して考える
反対の証拠や事実を集めるということとも重なりますが、あなたがバイアスを解消するために有効な方法は、あなたの方針を、あなた以外の目を通して考えるということです。
マイルプログラムは、あなたしか航空会社がなければ、顧客に喜ばれる良いサービスですが、他の航空会社からすれば、顧客を奪われる脅威のサービスです。他社としては同じマイルプログラムを始めるしかありません。もし航空会社が他社の目を通して考えていれば、マイルプログラムは底なしの競争の始まりになると気がつけたでしょう。
今回の問題
さて、冒頭の質問に戻りましょう。最初はみんな興味本位で乗ってきたとします。500円、1000円、1500円とどんどん手が上がり、3000円くらいまでは順調に進んでいくでしょう。あなたが3000円で手を挙げたところ、隣の人が3500円で手を上げました。このあたりであなたはこのオークションの罠に気が付きます。あなたはここでオークションを降りて3000円を失うか、4000円で手を上げるかのどちらかしかありません。4000円で手を挙げると相手が降りてもうけがでる「かもしれない」と思い、その選択肢が確実な損失よりも魅力的に思えてきます。こうして4000円と手を挙げるともうバイアスから逃れることはできません。あなたがそう思ったのであれば、相手もそう思う、つまり4500円で手を挙げる可能性が極めて高いからです。実際に行われた20ドル札のオークションの実験では、20ドルを過ぎてもオークションは止まらず、最高で400ドルまでオークションは続いたそうです。5000円を過ぎてもオークションを続けるのは、5000円を超えても5000円札が手に入れば、トータルの損失が削減できると考えてしまうからです。
落ち着いて考えれば、このオークションには乗らないことがいちばん合理的です。それなのに、乗ってしまうのは、自分が考えることは相手も考えるという当たり前のことが抜け落ちてしまい、一度始めてしまうとサンクコストに気が奪われ、合理的な考え方ができなくなってしまうからです。
あなたが、このオークションの参加を迫られた場合、正しい選択肢は、参加するかどうかを考える時間をまずはもらい、いったん落ち着いて、他者の目線で考えるということでしょう。
今回はここまでです。
Illust by hyoin min
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