地に足をつけて生きていくための「想像力」

空想の世界を飛ぶためではない。
現実世界で地に足をつけて生きていくための力、それが「想像力」だと思う。

そう感じたのは、ある金曜日の夕方。
いつものようにTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(通称アトロク)を聞いている時だった。
その日のオープニングで取り上げられていたのは、映画「100日間生きたワニ」の座席予約システムでのいたずら問題について。
後払いで座席を取ることができるKINEZO予約を悪用して座席を「100ワニ」と読めるように予約するという幼稚ないたずらがされた。

そんなことされては映画館の営業妨害になるし、映画の興行収入にも関わってくる。普通に見たいと思って席を予約しようとした人にも迷惑になると憤る宇多丸さん。その言葉に続き金曜パートナーの山本アナウンサーが切実な声でこう言った。

「色々な想像をしてほしい」と。

まずそのシステムが誰のためにあったのか。今回の件を受けてそのシステムがなくなってしまったら、どんな影響がでるのか。

現金しか持っていない学生の映画を見る機会を奪ってしまうかもしれない。
この映画を見て人生が変わった人がいたかもしれない。
この映画だけじゃなくて、別の映画を見て夢を見つけていたはずの人がいなくなってしまうかもしれない。

つまり「想像力の欠如」による行動で悲しい思いをする人がいる。よく想像することが大切なのだと。なるほどとうなずきながらも、私はその「想像力の欠如」に身に覚えがあった。

バイトで耳が聞こえない人の書類を確認した時のこと。
電話番号の記載がなかった。書き忘れだと思い通訳の人に「あの、電話番号は…?」と聞いたら、「耳が聞こえないから電話もってないんです」という返答を受けた。少し考えてみればわかることである。それなのに想像力の足りなさから余計なことを聞いてしまい、自分の想像力のなさがとても恥ずかしくなった。

今はどこへ行っても電話番号を持っていないと不便な世の中。だから電話番号を持っていることは「当然」のことだと思っていた。だけど私の「当然」はあくまでの「私にとっての当然」に過ぎず、それが世界の尺度だと考えることはあまりにも傲慢だった。

私の「当然」で捉えられる視野はせいぜい150度程度。だけど、世界は360度もある。残りの210度を補うためのもの、それこそが「想像力」なのだ。

空想の世界を旅する物語を作るのではなく、自分の視野の外側にあるものを捉えるために、一度立ち止まり考える。そうすれば「もしかしたら」が見えてきて、少しずつ視野を広げていくことができる。

「想像力」を持つことは優しさでもある。アトロクのOPトークはいつも私が見落としがちなことを拾って伝えてくれる。

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