ゴジラ キング・オブ・モンスターズという愛のカタチを拝む祭り
映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を土曜日に見てきました。
ゴジラといったら「ゴジラVSモスラ」と「シン・ゴジラ」の知識しか持っておらず、前作も嗜んでいない状態での感想ですので、的外れなことを言っていてもご容赦ください。
今回もネタバレ込みですので、映画をご覧になってからお読み頂ければ幸いです。
先日の「名探偵ピカチュウ」や、「シン・ゴジラ」、元になる作品はないですが「パシフィックリム」などもでしょうか。それぞれ特定の何かへの強い愛を持った、いわゆるオタクの人が作った作品というグループになると思います。
オタク同士の共通言語を使った、感覚を揺さぶる表現やセリフ、強いこだわりを持った映像作り、そして何より製作者の愛を見せつけられたー!なんてすばらしいんだー!!と、震えておりました。
今回の「キング・オブ・モンスターズ」でいうと、モスラの羽化を見守った研究者が実は3代に渡って双子で…など、絶対にニヤニヤしてしまうポイントですよね?わずかにしかゴジラを知らない私でもニヤニヤしていたので、ほかにもきっとゴジラが好きな方には嬉しいシーンが多かったのではないでしょうか。
そして、ゴジラではお約束の曲。「シン・ゴジラ」でもそうでしたが、とにかく曲のアレンジがかっこよくて、いくらでも聞いていられる、鳥肌が立つ作りになっていますよね!
ゴジラの登場シーンでの祭囃子、キングギドラの登場シーンでの読経、モスラの登場シーンでの東洋の儀式めいたアレンジ…どれも興奮や感涙を呼び起こすもので、人生の何割をゴジラに注ぎ込んだら、こんな物作りが実現できるのか。恐ろしいやら羨ましいやら、という感じです。
「シン・ゴジラ」と「キング・オブ・モンスターズ」との違いも、また味わい深いものがありましたね。
「シン・ゴジラ」でのゴジラは、私たちの日常を侵す大規模な侵略者、クトゥルフ神話における神格のような存在、『恐怖の対象』。
一方、「キング・オブ・モンスターズ」でのゴジラは、私たちなどには目もくれない、規格外の存在を通り越してもはや現象、恵みももたらすが破壊ももたらす日本神話の神々のような存在、『畏敬・崇拝の対象』、といったところでしょうか。
巨大不明生物特設災害対策本部とモナークのスタンスの違いも面白いですね。徹底的に人間的学問知識で対抗する前者、人間的学問知識もあるが神話から学び行動する後者。
無人在来線爆弾やコンクリートポンプなど人のみで戦う前者、神殿にひれ伏し生贄と捧げものを以て神の復活を乞う後者。
意図的ではないでしょうが、根底に「ゴジラ」という共通のテーマを持ちながら、まったく違う形の枝葉が広がっていった両作品は、正に愛のカタチ。
この祭囃子に身を任せて、時に息を飲み、時に息を殺し、最後にはひれ伏すしかないこの快感を、ぜひ皆様に味わってもらいたいなと思っております。
さて。ここからは、余談です。
作品作りで重要なのは「誰に届けたいのか」もそうですが「作成した自分がその作品を愛せているか」も重要だと思います。
作品に自信がある、と、作品を愛せている、は少し異なります。
かっこいいシーンがあったり、役者さんの魅力を引き立てたり、たしかにそれも重要です。けれど、愛がなければそこに肉がつかない。ハリボテはすぐに見破られてしまう。
見ている側が求めているのは、その作品の肉付きの厚さと、そこから生まれる感情の揺さぶりではないでしょうか。その作品が悲劇でも喜劇でも、SFでも現代ものでも、感情を揺さぶられるのってとても気持ちが良いですよね。
その方向性は「感動して涙が出た」とか、「爽快感があった」だけではありません。「怖気が走るような不快感があった」「ただただ辛かった」…そういうものでも良いんだと思います。
愛をどれだけ誠実に、見ている方へ渡せるか。そこが真摯にできているのが最近の人気作品の傾向なのかもしれませんね。
私もモスラへの愛が芽生えてしまったので、今後蝶の柄の服とかいっぱい買ってしまうかもしれません。もすらーやもすらー。