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#03|ASD気質、気づかず育った私

そんな破壊力満点のパワーワードを貰いつつも、
やはりASD気質の私は元気でした。

小さい頃は体格も良く、頭もくるくる回り、
算数以外は大体通信簿も5。(きっと今はない昔の評価)
当時まだ珍しかった中学お受験塾が楽しくて、
暴れ回って創業会長に一目置かれていたほど。
(今のN能研ね)

奇跡と言われて入った国立大附属中学では、
横浜・神奈川から入った「外部」と呼ばれる仲間がこれまた優秀で、
仲良し5人組のうち2人は現役東大合格!
流石の私も「これは太刀打ちできない」と早くも悟る。

附属高校にはなんとか進学するが、(半分落ちる)
当時全国で東大合格数女子No.1のその学校の生徒たちは、
本当〜に勉強が好きで良く学ぶ。
一浪を合わせると、クラスの1/3が東大に進むのだ。

中学で自分のレベルを思い知った私は、
硬式テニス部のコーチに来ていた卒業生が多摩美の学生で、
カッコ良かったので美大でテニスをしたい!と思うようになった。

思えば父も、水彩画を描いたり彫刻を作るのが得意だった。
母は小原流花道の師範で、投げ入れる花のセンスは抜群だった。

でも、単に周りの生徒が優秀すぎて、
ドロップアウトしただけの安易極まりない目標設定で、
高校では美術部顧問の部屋に一方的に押しかけ喋りまくる、
今思うととても迷惑な生徒だった。

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