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群馬県在住のフリーランスデザイナー。グラフィック・Web・写真撮影・商業施設士。横浜市出身。 農家のヨメ、3人の子は皆凸凹、家族皆凸凹。https://atk-design.info/

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  • ASD&ADHD家族の物語

    長男に発覚したADHD、けれども見渡してみるとあの人もこの人も、家族みんなの凸凹の話です。

最近の記事

#4.06|凸凹兄弟、次男睡眠ポリグラフ検査 (PSG)の結果

東京のクリニックの検査結果は、3週間を待たずに出た。本人3度目、私も2度目の通院で、早く着きすぎて近くのカフェで映えるケーキセットを頼み、時間を潰した。立ち食い蕎麦は何ヶ所もあるのに、ファーストフードが見当たらないのだ。普段ならラーメンが3杯は食べられる金額だが、毎年バレンタインデーには自分でスイーツを作る次男のために奮発して、少しふわふわした気分でその後クリニックに向かった。 結果は軽く考えていた私の予想を裏切るものだった。全身にセンサーを付けていたにもかかわらず、ものの

    • #4.05|凸凹兄弟、次男二つ目の「睡眠外来」

      次男二つ目の睡眠外来は、県内で予約した精神科・心療内科のある病院だった。予約を入れてから待つこと2ヶ月半。精神科ではよくあることなので、驚かなくなってしまった。 自宅と会社の中間地点にあるこの病院の、不定形の待合は狭く決して新しい建物・設備ではなかったが、ネットでの患者の口コミが比較的良く、院内を小走りで移動する事務の方々を見ても、それが伺える病院だった。 普通の病院ではあまりない背中を夏の日差しにジリジリと焼かれる待合から通された診察室には、新しい自民党の党首を丸顔にし

      • #4.04|凸凹兄弟、次男初めての「睡眠外来」

        東京の睡眠外来クリニックは、オフィスビル街の一角にあり小さな待合がサラリーマンで一杯だった。G県からやってきた私達に、HPの画像のまま優しげな先生は「G県にも良い病院があるのですよ」と最初に気遣ってくれた。 予約が2ヶ月後だったことを伝えると、少しびっくりしてわざわざ東京まで来た訳を理解してくれたようだった。丁寧にヒアリングをしてくれ、次男に出された発達障害の薬のことも心配してくれる。はっきりは言わないが、「覚醒剤みたいなものなのだから」と言いたげだった。 それでも、初回

        • #4.03|凸凹兄弟、次男の「睡眠外来」探し

          そもそも次男が選んだ病院は、会社から近い(といってもタクシーが必要)精神科だった。その医師がなぜ「ナルコレプシー疑い」という診断書が書けるのか謎だったが、会社として彼を休ませるにはその内容が必要だったのだろう。 大きな会社で福利厚生も手厚く、家族寮があるほど会社への定着には気を遣っている。実際次男も当面「有給」扱いで休ませてくれるという。ただ、何かあってからでは遅いのだ。 思いもしなかった展開に私も慌て、精神科では話にならないのでまずは県内の専門医を探したが、予約が取れた

        #4.06|凸凹兄弟、次男睡眠ポリグラフ検査 (PSG)の結果

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        • ASD&ADHD家族の物語
          38本

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          #4.02|凸凹兄弟、次男の社会人生活

          次男が就職した会社は3交代の夜勤がある工場で、高卒とはいえ入社早々給与が3万円/月も上がる、高待遇の大手だった。 英語が極端に苦手だった次男も、小さい頃から柔道をやり高校でも体育会系で、面接での受け答えでも笑いを取るほどに見た目には遜色もなく、7人ほどの同期入社のメンバーにも恵まれ、社会人生活は順調な滑り出しだった。 高卒は現場でのオペレーションのためにクレーンや危険物などの資格を研修期間中に取得する必要があり、高校でも経験のあった次男は、同期の中でも合格は早い方だったら

          #4.02|凸凹兄弟、次男の社会人生活

          #4.01|凸凹兄弟、次男は無事就職、ところが!

          前回凸凹兄弟について書いた時、次男は高校2年生だった。 その後なんとか高校生活も軌道に乗り、本人の希望で進学はしないことになった。3年次の就職ガイダンスで、彼の高校は就職にとても有利だと説明があり、周囲の友人たちもその道に進むことから本人も俄然就職活動に興味が湧いたらしい。 そして7月には自力で希望先を見つけ、職場見学・面接に漕ぎつけた。 選んだ会社は東京に本社を持つ鉄鋼メーカーの群馬工場で、給与・福利厚生がとても良いと本人が言う。 地元の優良企業に比べて距離的に離れてい

          #4.01|凸凹兄弟、次男は無事就職、ところが!

          ヘビーデューティーなBagに焦がれて

          元々革製品のBagや靴が好きで、キャリアの狭間に「バッグデザイナーになろうかしらん」などと夢想することもあった。最近は着飾って出かけることなど皆無なので、Bag愛は仕事のカバンに向かう。 山や川に出掛けるようなワイルドさは持ち合わせていないけれど、私の撮影現場はアウトドアも多い。年に一度やってくる地元のイベントも、平らなところはほぼなく草刈り後の地面に建築工事の現場を合わせたようなもの。 今年はさらに周年記念の1日公演(農村歌舞伎)とあって、撮影プランを練るのも例年より気

          ヘビーデューティーなBagに焦がれて

          #3.07|凸凹兄弟、農薬不使用田んぼで助っ人

          我が家の家業は農業で、こだわりの強い旦那はたった一人で農薬不使用・無化学肥料の米を作っている。普通自然農法や有機農法で米を作る人は、スタッフがいたり要所要所でイベントを立ち上げて興味ある人に手伝ってもらったりするのだけれど、我が旦那は人にものを頼むのが大の苦手。毎年自作の農業機械(主に除草機)を考案しては、失敗を繰り返しつつも楽しそうに彼にしかできない農法を編み出している。 (写真は農薬散布用ボートを改良したリモコンチェーン除草ボート) そんな旦那も、流石に手に負えない雑

          #3.07|凸凹兄弟、農薬不使用田んぼで助っ人

          #3.06|凸凹兄弟、次男に輝く教育を!

          7月に入ったら、と言われていた転院先の紹介ですが、まだ連絡がありません。「県外になるかも知れませんが」とも言われていたのですが、やはり難航しているのでしょう。 そうこうしているうちに学期末の三者面談の日が来てしまい、担任の先生からも早くも就職&進学のお話です。今年度から部活には復活させて貰っていて、高校生らしい生活が戻って来てはいるものの、もう折り返し地点。時は待ってはくれません。 幸い先日のCADの実習の時、課題(レポート)の早く終わった同級生が次男のところに来てアドバ

          #3.06|凸凹兄弟、次男に輝く教育を!

          #3.05|凸凹兄弟、次男の転院、その2

          久しぶりに訪れたG大附属病院は、ほとんど変わっていなかった。 通算8週間は入院したかな、抗がん剤治療の際はよく駐車場で眠ったものだ。(そして自力で運転して帰る) 次男にしても、ここで生まれ小児喘息の治療で小さい頃はよく通った病院だが、本人はさすがに覚えておらず、コンビニやカフェが併設され沢山の人が行き交う院内に驚いている。 診察カードも持っていて初診ではないのだけれど、10年は間が空いていたし、そもそもかかる診療科が違うのでほぼ最初からの手続きとなる。 「M市(病院のあ

          #3.05|凸凹兄弟、次男の転院、その2

          #3.04|凸凹兄弟、次男の転院

          ご縁とは不思議なもので、地元の活性化委員のメンバーで東京からG県に移住して来られたFさんの奥様は、発達支援のプロだった。 市役所主催の移住者交流会で一緒に街歩きをして初めてお話しさせていただいた時は、次男の病院からは検査の結果待ちだと思っていたので、軽く自己紹介&次男紹介をするに留まっていたけれど、その後学校からも「その後病院からの指導は…」と電話があり、病院に問い合わせてみると「先生の指導は投薬が前提です」とか意味不明な返事が返ってくる。 「投薬」云々ではなく、まず医師

          #3.04|凸凹兄弟、次男の転院

          #3.03|凸凹兄弟のGW明け

          冬の間熊のように冬眠している旦那も、この時期になると別人のように目覚める。周辺の田んぼで草刈りが始まり、代かきの依頼電話が鳴るようになるともうシーズン突入だ。 我が家では毎年30〜40件の田植えと稲刈りを代行している。それぞれ1日3件を1ヶ月以上続けるハードなシーズンだ。旦那の代になってからは我が家の米作りは全て農薬・化学肥料不使用に移行し、その間の除草もそれは膨大な労力がかかる。 自家用と一部依頼分の苗作りも苗箱300枚を超える。毎年こればかりは家族総出で手伝うが、今年

          #3.03|凸凹兄弟のGW明け

          #3.02|凸凹兄弟のGW

          美大受験2浪の末、結局通信制の美術大学に在籍することになった長男。 自力で履修届を出し、MacBook Airも新調して貰ってようやく大学生らしい春を迎えた。 毎年GWは唯一家業の稲の籾撒きに召喚するのだが、(普段は機械化していて旦那が一人で全てをこなしているが、これだけは人手が必要)今年も「いつ帰れる?」とLINEすると、「5/3と5/4は友達に会う、逆にいつ帰ったら良い?」と聞いてくるので、「後半にいて欲しいらしい」と返す。 旦那にも確認して「じゃあ籾撒きは5/5」と

          #3.02|凸凹兄弟のGW

          今年の桜が撮れた訳

          今年3月の下旬に実行委員として参加したイベントで、仕事用として一番頼りにしていたカメラを人工芝の上に落としてしまい、初めて修理に出す羽目になってしまいました。 比較的柔らかい土の上に敷かれた人工芝だったので、大丈夫かと思っていて、幸いボディ(OLYMPUS OM-D EM-1 Mk3)はその後も動いてくれましたが、万能ズームとして本当に頼りきっていたM.ZUIKO12-100mm f4.0 PROの画角リングが動かなくなってしまいました。 大勢のお客様が次から次に訪れ、そ

          今年の桜が撮れた訳

          #3.01|凸凹兄弟の新たなページ

          2月の末にとある地域活性化会議に顔を出してからの2ヶ月は、怒涛&頭の回路が入れ替わるくらいの日々だった。 「2年後の100周年に向けた会議だから」というのでのこのこ出かけていったら、なんと1ヶ月後にはイベントをやるという。それからはチラシ作りや展示の準備、取材対応などに追われ気がついたら地元紙に3回も登場することに。 我が家は農家なのでこの時期は農閑期。基本ゆったりとした時間が流れている筈なのだが、今年はその中でも長男(2浪)の最後の受験、次男の進級のかかった診断のための

          #3.01|凸凹兄弟の新たなページ

          #2.03|極端な凸凹次男の期末試験

          次男が課題を出せなかったのは中学時代からで、今に始まったことではないけれど、徒歩通学だった近くの中学から電車に乗ってくる子もいる広域の友人が出来る高校への進学は、それなりに胸高鳴るものがあったと思う。 小学2年から地域のスポーツ少年団で柔道を始め、中学3年まで部活動でも活動し、一応黒帯を取るまでになっていた。が、入った県立高校にはなんと柔道部がなかった!ので、仕方なくレアなボクシング部に入った。少人数なのでアットホームで、1学期の終わり頃にはテーピングやシューズを揃え、それ

          #2.03|極端な凸凹次男の期末試験