遠くの誰かを「叩く」より、近くの幸せを「守る」

「たったの数ヶ月で、世界は驚くほどに変わってしまった」

SF映画の主役でもないのに、こんな台詞を現実世界で口にする日が来るなんて、夢にも思わなかった。でも、本当に変わってしまった。

コロナウイルスの煽りを受け、今、社会は大きく揺さぶられている。都市部を筆頭に全国の街からは活気が失われ、ネットの世界はいくらか殺伐としたものになってしまったように思う。

社会が日に日に落ち込んでいくなか、自分にできることは(家にいること以外)何にもない。そんな風に塞ぎ込んでいた。

けれど、私の周りでは、コロナで打撃を受けた世界に少しでも光を当てようと、自分なりにできることを模索している人がたくさんいる。

できないことを嘆く暇があるなら、できることを探せばいい。身近な人たちからそんな勇気をもらった矢先、noteのお題企画「#いま私にできること」を見つけた。

ライターである私が、今できること。それはきっと、このお題と向き合い生まれた考えを、私自身の言葉で紡ぎ出すことなのだと思う。

正直、コロナのようなナイーブかつ大きな問題に言及するのは、その裏で誰かを傷つけてしまわないかと、筆を取った今でも、怖くなる。

それでも、私は、私なりの覚悟を持って、このテーマに向き合いたい。今、このとき、私は何を考えていたのか。その軌跡を残しておくためにも。

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コロナの感染者数が増え、各方面で社会的なダメージか広がるなか、「コロナに負けるな!みんなで闘おう!」というメッセージを見かける機会も少なくない。

その根幹にある発信者の思いは十分に理解しつつ、目に見えないウイルス相手にどう闘えばいいのか、分からなくなるときもある。

「マスク」という名の盾は完璧に攻撃を防げるわけでもなく、「ワクチン」という名の武器も装備できない。まったくの丸腰状態だ。

圧倒的に不利な体勢が続くなか、負傷する仲間はみるみる増え、安心して避難できる場所も限られているときた。

もう、正直、こんな強敵を前にどう闘えばいいのかなんて分からないのである。

この状況を何とか変えたいのに、手も足も出せない。疲れきった心と体を癒したくても、行きたい場所に行けず、会いたい人にも会えない。それでもしきりに聞こえる、「諦めずに闘おう!」という声。

いったい、自分は「何」と闘えばいいのか?

その答えを見失った結果、行き場のない怒りや不安の矛先が、コロナ以外のあらゆる方面に向けられることが増えたように思う。

それが顕著に表れているのは、SNSだ。

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数日前、暇つぶしにTikTokを見ていたとき、ある動画を前にスクロールする指が止まった。

一組のカップルがInstagramに投稿した、自粛期間中のおでかけ写真。それをTikTokの投稿主は無断で転載し、「このカップル、自粛期間中に遊んでました!非常識な人たちです!」とポップなフォントで文字入れしていた。

恐るおそるコメント欄を開くと、「こういう奴らはコロナにかかればいい」「コロナになっても病院にくる資格ない」などと批判する意見が数100件と集まっている。

このような“晒しあげ”の投稿は、私が偶然目にしたものだけでも、10件以上あった。

「偶然、同じ動画がフィードに流れてきた」という共通点で集まった人たちが、おそらく会ったことも、話したこともないであろう相手を、強い言葉で殴りにかかっている。

「今に始まったことじゃない」と言われれば、確かにそうかもしれない。

けれど、見ず知らずの誰かを無作為に傷つける投稿は、ここ最近グッと増えたように感じる。

言葉の鋭さに、さらに磨きをかけて。

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星野源さんが制作した「うちで踊ろう」の動画を転用して“外出自粛”を呼びかけた安倍首相の投稿が、SNSで物議を醸したのは記憶に新しい。

自宅で優雅にティータイムを楽しみ、愛犬とたわむれる様子を映した数秒の動画に、数多くの意見が寄せられた。

「首相だって一人の人間。国のために頑張ってるんだから、自宅で休んでもいい」と擁護するコメントもあれば、「コロナで苦しんでる人が大勢いるのに、一国の主がこんな悠長な動画を載せるのは想像力に欠ける」と非難する声もあった。

私が気になったのは動画の内容ではなく、首相への批判を発端に、「#何様のつもり」が驚くべき早さでTwitterにトレンド入りしたことだ。

首相に対して「こんな動画を出すなんて何様のつもりだよ」と意見する人もいれば、彼らに対して「お前らこそ、何様のつもりだよ」と批判を被せるコメントも見られた。

「何様のつもり」なんて、オフラインで言われようものなら、体の芯から震え上がりそうだ。つい感情的になり、思わず口にしそうになっても、対面であれば直前で思い留まるかもしれない。それくらい、強い言葉だと思っている。リアルな世界で迂闊に使ってしまえば、自分と相手の関係性を大きく変える可能性だってある。

それなのに、ネットの世界では、そんな躊躇さが微塵も感じられないほどのスピードで、何万件もの「何様のつもり」が呟かれた。

タイムラインを眺めながら、スマホを持つ手が震える。画面をオフにして、息を整えた。そして、こう思う。

「たった数ヶ月で、私の知る世界は驚くほどに変わってしまった」

もちろん、自粛期間中に不要不急の外出をしている人に注意を促すことも、一つの事柄に対して自分なりの意見を持って議論することも、大切なことに変わりない。それを否定するつもりも、毛頭ない。

ただ、どんなときだって、感情剥き出しの暴力的な言葉を、無作為にぶつけることだけは避けたい。

鋭い言葉は、簡単に人を傷つける。そんな自覚を忘れずにいたい。もう私たちは、見えない敵相手にたくさん傷ついたのだから。

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私たちの周りでは、身近にいる大切な人やものを元気づける行動が少しずつ増えている。規模の大きいものでは、地元の飲食店を支援するクラウドファンディングや、芸能人のライブ配信なども頻繁に行われている。

ネガティブな感情やムードを、ポジティブなものに変換するのは、そう簡単なことじゃないかもしれない。

でも、顔の見えない相手を攻める時間と心の体力があるのなら、近く(物理的ではなく、心理的な近さ)にいる好きな人たちの幸せを守ることに費やしたい。

それは、学生時代の友達とオンライン飲み会を開くことかもしれないし、クラファンのパトロンになることや、夫の大好きなハンバーグを夕飯に作ること、あるいは温かい紅茶を煎れ、推しのライブを見ることかしれない。

人により、いろんな「幸せを守る」かたちがあると思う。

これから先、世界がどうなるかは分からない。もう少し、苦しい時期は続くかもしれない。それでも、遠くの誰かを叩くより、身近な幸せを守る人が増えるなら、世界はきっと——。

隣ですやすや眠る夫の背中をそっと抱きめ、私は、目をつぶった。

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