自衛隊で起こった悲劇を知り、メンタルセラピストとして感じた想い【長編】
ご高覧いただきありがとうございます。
自衛隊訓練生による銃発射事件。
とても痛ましい事件が起きました。
負傷した自衛官の方は一日でも早い回復を願います。
お亡くなりになった自衛官の方々にご冥福をお祈りいたします。
はじめに
自衛隊訓練生による銃発射事件。
なぜ、このような悲しい事件が起こったのか?
当記事の投稿時点では背景が未だ不明慮ですが、注目されている1つにメンタルケアの側面があります。
その辺りを少しだけ考えてみました。
注意)当記事は、けして加害者を擁護する記事ではないことをここに記載させていただきます。
今回の事件の情報(当記事の投稿時点)
『事件概要』
銃を発射したのは、今年4月入隊の自衛官候補生(18歳)。
最後の実弾演習中に銃発射し、2名が死亡。1名が重体。
被害にあった3人は新人教育担当官。
教育部隊に入って新人研修中で2か月ほど経過。
あと数か月で部隊に配属される予定だった。
『犯人の供述』
「52歳の教官が狙いだった」
「人間関係がうまくいかなかった」
「うち1人は52歳教官を撃つ際、射線上にいたから撃った」
と供述。
『安全性について』
実弾訓練の計画は綿密であり、日本の銃の安全管理は世界トップである。
1980年代にも意図的に人に発砲する事件があった為、それ以降の安全制度は厳格化していた。
実弾を込めた銃を持ってウロウロするような状況ではなかった。
『世間の反応』(ネットおよびニュースから抜粋)
「風紀の乱れ。もしくは教育モラルで問題があったのではないか?」
「メンタルケアが足りなかったのでは?」
『18歳自衛官訓練生を知る人の反応』(ニュースから抜粋)
「優しい人。怒っているところを見たことがない」
「18歳訓練生を人柄からは考えられない」
「信じられない。というよりは信じない。それだけの人柄の方です」
今後も色々出てくると思いますので、現時点で集めた情報を個人的に抜粋しています。
推測と考察-サポートを使う負い目
まず、供述内容からみれば、人間関係が原因であるは確定ではあります。
さて、色々と考えていきましょう。
もちろんメンタルの側面からです。
まずはざっと考えられることを上げていきます。
・心身ともに追い込まれていた。
・人間関係に悩んでいた。
・厳しさに耐えかねた可能性がある。
・心身の疲弊をしていた。
・自身を追い込んだ教官を狙った(報復に近い物と考えられる)。
このような事情から間違いないことは
「18歳自衛官訓練生は追い込まれていた」という事実です。
このような事態になる前に手を打つことはできなかったのか?
という考えもあります。
実際、自衛隊のメンタルサポートの面では、
気を使っているという情報もあります。
しかし、悲劇は起こってしまった。
これは私見となりますが、
用意はされていてもメンタルサポート自体が機能していない可能性
もあります。
これは一般社会でも存在している深刻な問題です。
一応言っておきますが、自衛隊批判ではありません。
市民の権利としてサポートがあるのに利用されない例はあります。
いくつか例をあげましょう。
・自殺防止の相談電話サービス
・生活保護
・自助会(依存症などに対応)
・全国労働基準監督署(パラハラや違法残業などに対応)
このようなサポート制度は利用すべき制度です。
しかし、利用されないことも多く、その理由も多岐にわたります。
・負い目と情けなさを感じて利用できない。
・利用した時の世間の目が怖い
・ダメな人間と思われたくない。
・存在自体を知らない。
・そもそも用意されていても説明されない。
特に、日本では「恥の文化」と呼ばれる価値観があり、
制度の利用などに負い目を感じる傾向もあります。
もしかしたら制度の利用をためらってしまった結果、
追い込まれてしまった可能性もあります。
被害者が凶行に走った推測
では、そもそもどうして追い込まれてしまったのか?
私は以下のものを推測しました。
その1 集団生活に強いストレスを感じた。
まず、コロナを思春期に経験した世代に
寮生活は厳しいものだった可能性です。
年齢的にみれば、
おおよそ15歳前後。
当然、コロナ禍を経験しているはずです。
コロナにより集団行動自体が避けられていた時期が、
最も多感な時期で人との関係性で得られるものが多い時期でもあったはずです。
よって、集団生活が強いストレスになっていた可能性があります。
その2 縦横におけるコミュニケーションエラー。
そもそも自衛隊の訓練自体が非常に厳しい訓練などを強いるのは明白です。
相手がなぜ語気を強く注意するか?
などを自身で理解できていない。
すると自身の強い批判や人間性の否定のように感じてしまう
そんな可能性は十分にあります。
また、疲労などが蓄積すると人は様々な側面で怠慢や雑になるものです。
コミュニケーションなどはその最たるものであり、
イライラしている人などが理不尽な言動をするなどは多いはず。
ならば、心身ともに追い込まれる自衛隊の訓練ならば、
自分以外の人間に配慮ができなくなって、
同期などとコミュニケーションがとりづらくなった可能性
も考えられます。
その3 メンタルサポートの活用拒否。
これは上記で解説した通りです。
当人が利用を申し出ない限りサポートをできない
という側面があったのかもしれません。
自衛隊内部では訓練生を自衛官の先輩が
1日中サポートするというシステムが存在しているようです。
しかし、それでも限界があるはずです。
それでも限界を迎えた時、サポートを申し出た場合、
「恥の文化」や「評価に響く」と思い込み、
利用をためらってしまった可能性もあるでしょう。
コロナ禍と世情-モラトリアムの変化
ここで一つ、私が提唱したいのは精神年齢のモラトリアムです。
モラトリアとは、大人として扱う年齢という意味があります。
つまり、
文明発展により大人になる年齢が
どんどんズレてしまう現象です
事実、戦前と戦後では子供の定義は大きく違います。
「小学生や中学生卒業の年齢で働くのが一般的だった近現代」と
「高校は当たり前に卒業する現代」を比べると
理解しやすいと思います。
つまり、コロナ禍の以前と以後で、
モラトリアが変化してしまっている可能性があるのです。
そして、メンタルサポートが不足していた可能性。
時代の変化に合わせ、人々は様々な変化がおこります。
それに伴い、人々に合わせて社会システムも変化が必要です。
コロナ禍によって世情が変化し、
新常識の定着は一人一人が実感していると思います。
メンタルケアやメンタルヘルスはまさにその一角です。
しかし、社会的にケアが欠けているのは事実です。
今回の悲劇も、
・モラトリアの変化に対応できなかった。
・コミュニケーションエラーが発生していた。
・何かしらの理由でメンタルサポートの活用をためらった。
これらの延長で起きてしまった可能性があのではないでしょうか?
優しい人柄というキーワード
もう1つ個人的に気になった点を上げます。
それが加害者の性格です。
人柄を報道したメディアでは、加害者の人柄をこのように答えていました。
・優しい人
・怒っているところを見たことがない
その中でもインタビューに答えた人の中に
「犯人だと信じない」と断言している人もいました。
これが個人的に一番気になった点です。
つまり、
加害者の性格は「優しく真面目な人」です。
実は「優しく真面目な人」という性格は
うつ病の傾向になりやすい人が多いのです。
優しく真面目という性格は美徳であり、
最も尊敬されるべき性格と思えます。
しかし、物事には表裏の関係があります。
つまり、そんな性格だからこそ厄介な部分もあるのです。
例えば
・冗談を冗談と受け取れない真面目さ。
・それだけ自分とマッチしなくても真摯になってしまう真面目さ。
・相談すると相手を困らせてしまうと考える優しさ
・冗談や理不尽であっても「アドバイスをしたんだ」と考える優しさ。
・そういった言動を常に気にして、周囲に気づかいをし続ける優しさ。
こういったものは成育環境で培われたものです。
例えば、
・親から過度な期待を寄せられる。
・親が過干渉だった。
・甘えて、弱音を言える相手がいなかった。
・誰も褒めてくれない。あるいは叱られた。
・周囲の人間が感情的で良い子でいることで自身を守ってきた。
・努力は美徳と教えられてきた。
・周囲の目を気にしなければならない立場。
関係と環境が人を作る。
悲しいことに「真面目で優しい性格」だったからこそ
今回の事件は起こってしまった可能性があります。
真面目で優しいからこそ、
様々なものを溜め込んでしまう性質をもっているのでしょう。
「普段怒らないような人間が怒ると一番怖い」
よく聞く文言です。
これは「溜めに溜め込んだストレスが爆発した」
という見解が適切だと思います。
人はストレスを感じると発散しなければなりません。
しかし、真面目で優しいからこそ、それができない。
なので、いったん爆発すると、
様々な感情が吹き出し、凶行へ走ることがあります。
加害者の場合、それが殺意だったのかもしれません。
加害者の行ったことはけして許されません。
しかし、そうなる前に止めることができた可能性は多いにあります。
それは自衛隊のメンタルサポートではなく、
むしろもっと身近なものだったのかもしれません。
日常的なメンタルサポートが存在し、
しっかりと機能していれば
事件は起きなかったかもしれません。
まとめーサポートの利用をためらないで!
こういったことから、
メンタルサポート、メンタルヘルス、メンタルセラピーを利用をためらわないでほしい。
私はそう感じました。
私もうつ病など経験し、治療やセラピーを受けた過去があります。
しかし、そのサポートや治療なども利用するまでは非常に長かったです。
事実、
私はうつ病が発覚してからセラピーを受けるまで、
3年以上も時間を要しました。
あくまで私個人の話でしかありませんが、
それくらいサポートを受けることは勇気が必要なのです。
奇跡的に当記事へたどり着いた方々に
私が想うことは1つです。
メンタルセラピーやサポートの利用を
ためらわないでほしいと切に願います。
以上のことが私の考察と私見です。
賛否両論はあると思いますが、
なにとぞ皆様のご多幸のお力添えになればと思います。
改めて、被害者の方々のご冥福。
そして、回復をお祈り申し上げます。