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淋しい雲
一月ある日の夕方、私の意識にふと近所の点滅信号が浮かび上がりました。
その点滅信号は、私の家の前の道を歩いて最初の角を曲がると、もう目に入る場所にあります。
玄関を出てほんの20秒程です。
角を曲がり、一つ目の交差点に点滅信号は設置されているのです。
住宅街の交差点ですので、それほど車の通りはありませんが、縦、横と碁盤の目の様に広がる道の中ではいくらか幅が広いその通りは、近くにある中学校への登下校の生徒や、自転車で行き交う住民も多い為か、交差点付近で何度か事故があったのを見たことがあります。
その為か、昔からそこには点滅信号が設置されておりました。
私は長くここに住んでおりますので、その点滅信号は私の家付近の目印として、友人に伝えたり、タクシーを降りる時なども
「あの点滅信号のあたりで降ります。」
などと言っておりました。
また、夜中に歩いて帰宅するときなどは、遠くからも見える点滅に合わせて目を細め、光が伸びる様子を見ます。
これを特に楽しむわけでもないのですが、昔から一種の癖のようにやっておりました。
そういえば、あの点滅信号は今は無くなっているのではないか。
何がきっかけでそう思ったのかは分かりませんが、その点滅信号が私の意識にまえぶれもなく唐突に浮かび上がってきました。
私はこの寒い時期に用もないのに外に出るのは億劫なのです。
用事があっても出たくないとさえ思うのですが、そんな事を考える事もなく私は立ち上がり、服もそのままに玄関を出て、家の前の道から最初の角を曲がり、斜め上を見上げました。
日が暮れてきていましたが、まだ空は少し明るさが残っています。
点滅信号はやはりそこにはありませんでした。
「やっぱり、無いか、」
いつも出かける時には常に通る場所なのですが、私はその点滅信号が無くなっている事を今になって知ったのです。
いえ、そうではなく、私は無意識のうちには点滅信号がすでに無くなっている事を認識していたのでしょう、それを改めて無くなっているのだと今思い至り、確認に来たのです。
私は何の思い入れもない点滅信号が無くなっている事を再認識して、何故か少し寂しい気持ちが起こりました。
いつもそこにあっただけの物ですが、無くなっているのだと確認しただけで何故か残念な気持ちがあったのです。
点滅信号が無くなっていた事もそうですが、それが無くなることで、私の中に少しでも寂しいと感じる気持ちが湧き起こるものを、今の今まで気にも止めていなかった自分に。
そして、いつ撤去されたのかも分からないほどであるにも関わらず、その存在を無くしたことに今更気づいて、寂しさを感じている自分が少し残念な人間に思えたのです。
私はあの点滅信号に何も感じたことなどありません。
今でも大切なものをなくしたなどとは微塵も思いません。
それなのにどうして少し寂しく感じているのでしょう。
学校、仕事、友達と遊びに行く時にいつも、あの点滅信号の下を通り出かけていたからでしょうか。
仕事や遊びに疲れて、暗い夜道を帰ってくる私をいつも出迎えてくれていたからでしょうか。
そんな事を意識したことなどありません。
私は点滅信号が無くなり、電線とその間を埋める空と雲のほかには何もない空間を、確かめるように顔を見上げていました。
通り過ぎる人はそこに何かがあるのかと、私の目線を追いかけていましたが、私は無いことを確認しているので当然何も見当たらなかったことでしょう。
それはほんの数分ほどでしたが、すっかり体は冷えてしまいました。
風がとても冷たくて嫌になります。
私はわざとらしく「フンっ」と鼻を鳴らして家に戻りました。
日が沈み、部屋は真っ暗になっていました。