開けたら閉める
愛読している百さんの記事で「ガスの元栓」のことが書かれていた。
私も元栓の開閉が気になるタイプだ。
開いていたために事故につながったという事例は知らないけれど、私にとってそもそもガスの元栓は「閉まっているもの」なのだ。
使うときに限って開ける。
使い終わったら閉めるのが当たり前と思っている。
結婚して初めて夫の実家でガスを使ったとき、元栓は開いていた。
「あれ?」という違和感はいまも忘れられない。
締め忘れたのかなと、そのときは解釈した。
お湯を沸かす。
調理をする。
たびごとに私は開けたり閉めたりする。
しかし、2度目も3度目もいつのまにか元栓は開いている。。
そして、ついに私は、姑からお叱りを受ける。
「次のときにすぐに使えるように開けてあるのに」
私は「次に使う人のことを考えない思いやりのなさ」をとがめられたというわけだ。
え?
そんなのあり?
自分の実家の家族に、私は口うるさかった。
中でもしつこく注意したのが、使っていないときに「ガスの元栓」を閉めることと、給湯器の種火?(スイッチ)を切ること。
「開けたら閉める」「点けたら消す」「出したらしまう」
母はよく私を「姑ババァのようだ」と言った。
だから私は、姑というものはそういうものだと思っていた。
姑は、きれい好きで几帳面な人だった。
そして、ほかの面では口うるさかった。
まったく大雑把ではないのに、ガスの元栓と給湯器のスイッチは朝から晩まで開けっぱなし、付けっぱなしだった。
解せない。
別の世界に生きて、別の感覚や別の価値観を持っているというしかない。
しかし、そういう人がいるとはそれまで思っていなかったので、私には驚きだった。
使い終わってスイッチをオフにしたら、その流れで元栓を閉めることが習慣になっている私は、その後、何度か無意識に閉めてしまって、たびたび注意を受けた。
うーん。。
そのたびに抱く違和感。
こんなのあり?
結婚相手といえども他人である。
その家族はなおのことだ。
他人のルールに合わせるのは難しい。
そういう私にも、ほかの人にはどうでもいいマイルールがある。
つくづく、人と一緒に暮らすには向いていなかったなぁと思う。
関係ないけど、延暦寺の境内には自前?の消防車が備えられていた。
比叡山焼き討ちの記憶が刻まれているのかなぁ、なんてね。