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首相指名選挙および介護の日に

首相指名選挙で大量の無効票があった。
決選投票になったときどうするかは事前に報じられていたけれど、そうとわかっていてもガッカリした。

先日の衆議院選挙の折、著名人?が「入れたい候補者がいなかったら白票でもいい」と言ったという話があったが、白票は棄権と同じである。
たとえ全面的に支持できなくても、一番近い誰かを選択しなければならない。
裁判官の信任投票は「×」をつけないと「〇」をつけたことになってしまうが、白票も棄権も無効票も同じである。

これまで投票率が高いときは野党が勝ち、低いと与党に有利な結果が出た。
しかし、先般の衆議院選挙では投票率が低いのに、与党が議席を減らした。
これは、いまの政治ではダメだと感じる人が満を持して投票に行ったからだと思う。
広くはないが深かった。

無効票を投じるのは、衆議院選挙で投票した有権者の深い思いを蔑ろにすること。
個別の政策の差があるのは、誰もが承知している。
完全一致でないと組めないというならそもそも政党が分かれていない。

しかし、その差を含めて、「国民のために」自分たちの政策を通したい、すこしでもいいから反映させたいと思うなら、与党にならなければダメなのである。
どんないい政策でも、実現できる環境にできなきゃ絵に描いた餅。
真に国民のことを思うなら、1歩でも2歩でも実現のために動くべきではなかったか。

あっちもこっちも嫌だから、無効とわかっていて別の名を書く。
そういう意思がどこかに反映されるならいい。
たとえば無効票が何割かに達したら、何か第3の道があるのならわかる。
でもそうじゃない。
衆議院選挙で政権交代に希望を見出して今回無効票を投じた党に入れた人の思いはどうなるのか。

無効票は国民より党利、あるいは自分のプライドを優先している証だと思う。
無責任で卑怯だ。
それならいっそ、最初から与党に与すると言って総選挙に臨むべきだったろう。
野田さんが嫌なら石破さんの名を書いたほうがまだ潔い。

選挙だけでなく、私たちはいつだって限られた選択肢から選んで生きていかなきゃならないのだ。
どれも嫌だと言って選ばないのは、そもそも政治を動かす気がないのかと思ってしまう。
子供かよ。

今日になって不倫スキャンダルが明るみに出た党首もいたが、私は他人の亭主の浮気には興味がない。
歳費で愛人をかこっていたなら問題だが、そうでなければ既婚者の恋愛関係を責められるのはその配偶者だけである。
首相指名選挙後の党首へのインタビューで、投票や政策でなくこのスキャンダルについて真っ先に質問した記者にも失望した。

ところが、会見で当人が「妻からも責められた」のあとで、政治で挽回するというようなことを言った。
妻もそうしなさいと言っていると。
バカかこいつ、と思ってしまった。(失礼、すまぬ)
家庭における失態を、国政でどうやって挽回するというのだ。
この人とその家族にとっては、不倫と国政は同じ土俵なのか。
じゃあ、国政で失策をかましても、いい夫でいい父親になることで帳尻を合わせるのか。
国民はたまったものではない。

浮気者で最低な夫であっても、私の夫じゃないから別にいい。
国民のためになる政治をやってほしいところだが、私は、この党首がたとえ謹厳実直な人物だったとしても、その政策(特に緊急事態条項に関する改憲)を怖いと感じているので、まったく期待はしていない。

今日は「介護の日」ということだが、施設の倒産や人手不足、賃金の低さは相変わらず。
改善の方向性も見えない。

今朝、テレビで、センサーの導入でバイタルデータの入力や転倒の察知が容易になって、少ない人数でも回るようになったという介護施設が紹介されていたが、そのセンサー設備を導入する資金がないところがたくさんあるのだ。

母がいた老健では、限られたセンサーマットを使いまわしていて、母よりリスクの高い入所者が入ったときに取り上げられてしまった。
そのせいで、母は2度ベッドから落ちてしまったのに気づかれなかった。
幸いケガはなかったけれど、もしおおごとになっていたら、私は黙っていない。
でも施設だって職員さんだって、本当は全員に装備してあげたいのだ。
でも、お金がなくてできない。
そのぶん、職員さんの見回りを増やし、気を配るしかないのだ。

そもそも私は「〇〇の日」というのが嫌い。
看板を掲げることで、中身のなさをごまかしているんだろうなと思っている。

ということで、本日は憤懣やるかたなし。


読んでいただきありがとうございますm(__)m