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胡散の味

どうでもいい後日談。

社長の話は衝撃的だったが、全面的に信じていいものかはわからない。
念のため、離席の際には貴重品と飲み物を持ち歩くようにした。

専務である妻側の意向も訊いてみたいと思ったが、そういう機会は訪れない。
妻は、横領?を続けるバイトをベタベタと可愛がり、社長は反動のように私に親切だった。

社長は「営業」ということだったが、だんだん出かけなくなった。
そして、あるときなんとかという(名前も忘れた)芋から作った健康茶の通販をやるんだと言い出した。
で、私に大量の見本のティーバッグをくれた。
胡散臭い。
私はこの手の「健康食品」を謳ったものが嫌いである。
お茶は一応持って帰ったが、袋から出した途端、変な臭いがする。
家で捨てた。

事務所にはこのお茶が詰まった段ボール箱が置かれるようになった。
「健康にいい」と信じている社長の様子が、逆に私の不審を煽る。
カルト宗教の信者みたいだと思った。

社長は、この芋のイメージキャラを作ってクッションやらポーチにプリントした。
事務所にはこういうものの箱も置かれ始めた。
私にもくれる。
要らんがな。

別の意味で怖くなってきた。
専務からだけでなく、社長からも逃げたほうがいいと心の声が言う。

この「信仰」を妻はどう思っているのだろう?
彼女は、もしかしたらこれまで得た歯科医療機器の顧客を大事にして地道な事業を継続したいのではないか。

別の派遣会社からオファーがあったのを渡りに舟とばかりに、次の契約更新をお断りした。
社長は、「後任を決めてから辞めてください」と言う。
それは私じゃなくて派遣元にとお願いすると、もう派遣は使わないから直接募集すると言う。

結局、その募集と面接まで私がやった。
しかし、社長は、私が選考に落とした男性を採用したがった。
社長が再面接して即決。
明日から引き継ぎをしてくださいとなった。

採用理由を訊くと、占いでその子を採用すると運が向くとか出たという。
え?
占い・・・ですか。

20代半ばの青年で、昔、ストーカーまがいのことをした元カレに似ていた。
私が落としたのはそれが理由じゃなくて、態度に得体の知れない不安を感じたから。
仕事ができそうにないというのを超えた不安感。

翌日から、彼は私の説明などうわのそらだった。
そうして、社長の「お茶」を絶賛して朝から晩まで飲んでいた。
社長がいるときは、もっぱら雑談で、話題は主に「占い」だった。
二人は急速に親しくなり、青年の「推薦」する有名な占い師さんのところに二人で通うまでになった。
営業先まで占いで決めている。

指摘すると、政治家だって判断に迷うとき占いで決めていると反論された。
内閣御用達の占い師は誰それと、私にはちんぷんかんぷんの話になった。

心がゾゾッとする。
ただでさえ、占いは苦手で、引いてしまう。

派遣元に相談し、期限を残して退職。
そのときに派遣料も未払いであることが判明した。
バイトの子の横領か、社長の見逃しか、あるいはあえての踏み倒しだったのかわからない。

4、5年経ったあと、気まぐれにそのビルを見に行った。
もしかしたら、健康茶の会社になっているかもしれないと思って。

古いビルは跡形もなく消え、更地になっていた。
草さえ生えていた。
もう、そこに何が建っていたかすら覚えている人は少ないような気がした。
床板の下から何かが出たというニュースは聞こえていない。

胡散臭いの「胡散」には諸説あるが、深い催眠やトランス状態をもたらす香辛料という話もある。
私は、あの芋のお茶の臭いだという気がしてならない。

入社早々「ちょっといいですか」と社長から誘われて飲んだ珈琲はどんな味だったっけ?

私はもしかしたら、4か月間、何もない草っ原に座り込んで電卓を叩いていたのかもしれない。


読んでいただきありがとうございますm(__)m