他人の怠惰
一昨日、強盗の下見かもしれないという怪しい業者が来たので、その日のうちに警察に情報提供した。
そのことを、管理組合の今の理事長と、防犯担当理事と、不審者に対応したお隣の友人に電話で報告した。
一応、お礼の言葉はいただいたけれど、ありがとうを言われたくてやったんじゃない。
温度差を感じてしまった。
警戒感・危機感の差。
「行動力あるわねぇ」とお隣さんには感心された。
えっ?!
通りすがりでも、倒れている人がいたら救急車を呼ぶ。
強盗か空き巣の下見みたいな人がいたら通報する。
道に迷っている人がいたら声をかける。
それって行動力の話?
誰もが普通に取る行為じゃないの?
この人たちは、そういうとき「自分は関わりたくないから見て見ぬふりをする」のか。
「自分でなくてもきっとほかの誰かが手を貸してくれるだろう」って通り過ぎちゃう人なのか。
電車で前に杖をついた人が立っても寝たふりする人。
なんだかがっかりした。
強盗の活動時間は闇の時間帯だと思う。
割れた窓ガラスの音で目を覚まして威嚇して追い払った人がテレビのインタビューに答えていたけれど、夜の2時過ぎと言っていた。
眠れなくなってしまった。
入眠剤を飲んだら、110番すべきタイミングを逃してしまうのではないか。
暴行を受けて暗証番号を聞き出されたり、連れ去られたり、最悪殺されてしまうんじゃないか。
3時まで配信で「刑事コロンボ」を見ていたが、頭は冴えて目がランラン。
2日連続。
人に言ったら笑われそうだ。
窓の面格子は、実はあっけなく外れる。
大規模修繕のとき、ゴムパッキンの総取り換えもやったのだが、業者さんが専用道具でもって秒で外してしまうのを見てびっくりした。
これは防犯対策にはならない。
台風などの飛来物が直接ガラスに当たらない効果はあるかもしれないけど。
それを隣人に言うと、彼女は最初驚いて「へぇー」と言っていたけれど、次に
「怖いこと言わないで。聞かなかったことにして寝る。楽しいことだけ考えましょ」
と言って電話を切った。
そうか。
どんなシビアな現実も、見さえしなければなかったことになるのか。
もう昼間のことは忘れて、穏やかに眠っているんだろうな。
私はどうしてそういうふうにできないんだろう。
半量の眠剤を飲んだ。
眠りにつくまでの1時間あまり、私の心にあったのは強盗の恐怖、ではなく、周囲の楽観性に対するいら立ちだった。
知らなかったのなら無策でもしかたがない。
でも知ってしまったら、何か対策はないのかとどうして思わないのか。
何かをするのが面倒だから知らなかったことにするという「他人の怠惰」に私は倦んだ。
その怠惰を正直に「でも私は面倒だから」と言えばまだしも、「あなたは行動的だから」という口当たりのいい言葉に置き換えて、私のほうを特別視する。
私が行動的?
お金もないのに仕事を辞めて引きこもっている私が?
衆院選の期日前投票を早々に済ませてしまったことにもひどく驚かれた。
「政治のことはわからない」とか「どういう人が立候補しているか知らない」とか悪びれずいう。
でも、わからないから調べようとはならない。
候補者たちは政見放送や街頭演説では、その場しのぎの口当たりのいいことしか言わない。
守られない公約については、あとから「解釈の違い」とか「状況が変わった」と言うに違いない。
私は通常の国会での言動やこれまでの対応を見て判断しているので、告示前にもう投票相手は決まっていた。
この人、自分の当選のためには必死だけど、国会では寝てるんだよ、とか思ってるし、みんなに知らしめたい。
裏金やカルトだけじゃなく、どの人が大臣のときにどういう冷酷無比な答弁をしたかも結構覚えてる。
前日になって、裁判官の情報がなかったので検索し、どういう裁判でどういう判決を下してきたとか、憲法についてどういう考えを持っている人かを確認して「×」をつけてきた。
そういうことを言うと「意識高い系」(いまはもう死語?)と思われるけれど、防犯にしても政治にしても意識が高いほうが揶揄されるってなんなの?
私は知らないことが恥ずかしいし、知らないままにしておくことのほうがうんと恥ずかしい。
前の記事に戻るけれど、「無能の鷹」も仕事ができないことをなんとも思っておらず、できるようになりたいともなろうとも思っていないところが気持ち悪い。
「知らないこと」を「できないこと」の言い訳にして、それで通そうとしている。
そこがいいという人もいるのだけれど、そういう人たちの行動や無行動のせいで、治安が良くならなかったり、悪い政治が変わらなかったり、助かる人が助からなかったりするのは、本当に腹が立つ。
他人が「自分だけの怠惰」と思っていることは、実は多くの人に影響を及ぼす結果につながっていることもある。
自分一人のために調理をするのが面倒でレンチンで済ますのとはわけが違うのだ。
私などレンチンさえ面倒で、食べないこともある。
仕事を辞めたらもうすこし心穏やかに過ごせるかと思ったけれど、想像していたほどじゃない。
睡眠不足だからなおのこと。
「しなければ良かった」というのが正しい例があるとすれば、それは仕事しない(できない)人を面白がるドラマを見なければ良かったということくらい。
今回の朝ドラを初回から見ないことにしたのは、正解だったと思う。
いまのところ「ライオンの隠れ家」と「海に眠るダイヤモンド」は最後まで見そう。
「普通に」いやそれ以上に、動いて、働いて、懸命に生きている人の物語を
早く見て、清々しい温かい心になりたい。