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「もし」もクソもない

テレビやネットで政治家や著名人の謝罪コメントを目にすることがある。
名誉棄損や何かしらのハラスメントに対して、被害者が明らかに「受けた」と言っているときの話。
最近では、辞任した元知事。
それと芸能人が出版社に対して訴えた名誉棄損を取り下げたことなど。

「もし、私の言動で不快な思いをさせたとしたら申し訳ない」というやつ。
「もし、不快にしたとしたら」って、されたほうがすでに「された」と言っているのに「もし」もクソもない。

これは、「不快にさせるとは思っていなかった」という悪気のなさをアピールしたいがためだと思われるが、現状ですでに訴訟や不信任が明らかになっているのに、あたかも不快じゃない可能性を示唆するのはなんなのか。
これでは、ハラスメントだと捉えた側が過敏だったせいという責任逃れに聞こえる。
素直に、「不快な思いをさせてしまって申し訳ない」と言えばいいではないかと、いつも苦々しく思っている。

実は私もそう書いたことがある。
ドラマの悪口を書いたとき、同じように感じている人は「そうそう」と思ってくれるが、楽しく見ているファンの目に触れたら不快になるだろう。
でも書いている時点では、読む人がどう思うかはわからない。
快不快の両方の可能性がある。
だから「もしこれを読んで不快に感じたらごめんなさい」と未来を予想して言うのは不自然ではないと思う。

でも、すでに被害者や被告が発生しているのに、いまさら未来形を使うのは、卑怯な気がしてならない。
こういうのって、発言や発表をするとき、誰もチェックしないのかなぁ。
私はことの真偽はわからないけれど、こういう謝罪コメントだけで、その人が信用できなくなってしまう。
鈍感で無神経な人なんだよなぁと感じてしまう。
言葉の使い方って難しい。

汚いタイトルで申し訳ない。

昨日、病院からの帰り道、たまたま、3年前の交通事故の加害者の家の前を通った。
避けたかったけれど、後戻りをして遠回りするほどでもない。
あるのは、嫌悪ではなく憎悪のほうに近い。

別の車が停まっていた。
そうか。
買い替えたんだな。
加害者にとっても縁起の悪い車になったから。

先方は故意に私にケガを負わせたわけじゃない。
でも、私の左手は変形し、うまく動かなくなっている。
相手は車を買い替えて、事故はもう過去の話になったかもしれないが、私にはそうじゃない。
「もしいまも苦しんでいるとしたらごめんなさい」と言われたら嫌だな。

私は、あのときもいまもこれからも、一切の謝罪を受け付けていない。



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風待ち
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