イーダの椅子
誰も腰掛けていない椅子が好きだ。
待っているような、拒んでいるような、その空気に飛び込んで、引き込まれるのか反発されるのか、磁力の方向を試してみたくなる。
いや、腰掛けていない椅子ではなく、腰掛けていた気配のある椅子、腰掛ける希望のある椅子が好きなのだ。
宮本輝著「草原の椅子」
東山魁夷作「コンコルドの椅子」
そして、イーダの椅子がそれである。
夏休み、母方の祖父母の家のある田舎町に直樹とゆう子の兄妹がやってくる。
武家屋敷の残る古い城下町で、兄妹はある日、椅子を見る。
椅子は痩せた足を引きずりながら歩いている。
コトリ、コトリ・・・。
「イナイ、イナイ、ドコニモイナイ・・・」
椅子は町のはずれのさびれた洋館に住んでいた。
そして、待っていたのだ。
待ちきれず、探しに出たのだ。
椅子の主の少女(ニックネームのイーダと呼ばれている)と、その椅子の飾りを彫った少女のおじいさんを。
ふたりは、1945年8月6日の朝、広島へ行ったきり帰ってこない。
さわると崩れ落ちそうな黄ばんだ日めくりがその日でとまっている。
椅子は訪ねてきた兄妹に、語り始める・・・。
あの日のこと。
それからのこと。
ポツリ、ポツリ・・・。
そして、あらわれるもうひとりのイーダ。
しかし、そのイーダは被爆の後遺症で明日をも知れぬ命にある。
この話を読んだのは、小学校4年のときである。
その前に、担任の教師が毎日読み聞かせをしてくれていた。
若い女性教諭は、読み進むにしたがって声がつまり、ついには号泣した。
椅子は、背もたれにちょっと凝った意趣のある洋風のものだ。
古びてはいるものの、長年引きずった足(脚)を直してやれば、まだまだイケル風情をしている。
私は、物語の中のその椅子に同情し、共感し、そして憧れた。
今でも、心の中に椅子を置くとき、私には必ずそのイメージがある。
毎年、原爆の日が近づくと、どこかの裏路地を椅子が歩いているような気がする。
「イナイ、イナイ、ドコニモイナイ・・・」
椅子の待ち人はもう還ることはない。
子供心に、戦争は怖くて悲しいものだ、と思った。
長じて、実際に広島や長崎に行き、資料を見、話を聞いた。
ニュース画像で当時の町の様子も見た。
しかし、私が4年生にしてこの物語から受けた衝撃とそのせつなさには、なぜか及ばなかった。
子供向けの物語とあなどってはいけない。
私は、今でもそのラストの数行を思い浮かべると胸が詰まる。
「はだしのゲン」が読まれなくなっているというニューストピを見た。
若い人たちには残酷な描写が敬遠されているらしい。
私も身体に群がるウジ虫を食糧として口に運ぶ場面にはウッと思う。
でも、こういう悲惨なできごとが実際にあったという認識が、戦争の抑止力につながるのではないか。
それは、核兵器を保有すること、そういう大国の傘による抑止力には劣ると考えられているのだろうか。
いい椅子というのは、平らに見えて、ちゃんとくぼみを持っている。
そこに座る人を待つ、柔らかなくぼみがある。
帰らない人を待つのはとても辛い。
しかし。
「待つことの幸せ」を拒絶され、「もう待たなくていいんだよ」と言われたときの絶望は、帰らぬ人を待つことよりも実は辛いものだという気がする。
物語の「イーダの椅子」は、「もう待たなくてもいい」と言われた瞬間、バラバラに崩れ落ちてしまうのだ。
一生にひとつくらいは「待ってくれる椅子」を手に入れ、自分の心の中には「待つ椅子」を置くことができたら、と思う。
座り心地のいい「くぼみ」はどうやったらつけられるのか。
その試行錯誤が、死ぬまで続くとしても。
毎年8月6日、私は、明確な理由によって、その時間に黙祷をする。
それは、放蕩を重ね、家族の暮らしを極限まで追い詰めた父のたったひとつの「遺産」が、幼い私に戦争体験を語った思い出による。