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トイレの問題

失業は何度もしてきたが、失業手当をもらうのは今回が初めて。
働かなくてもお金がもらえるという経験がなかったので、ありがたみと同時に新鮮さを味わっている。
幼い頃から親にお小遣いというのはもらったことがなく、お金は必ず労働の対価だったから。

計算してみたら、これまで納めた雇用保険料を取り戻しているだけのような金額だったので、申し訳なさが減少して、もらえるものはもらおうという気になっている。
怠惰な暮らしに慣れてしまったのもあって、書類選考が通ったところでも、詳細を打ち合わせているうちにお断りの方向になってしまう。

オフィスに犬がうろうろしているところを断ったのに続いて(犬嫌いではない)、先週はほぼほぼ決めかけた会社を「トイレが男女共用」というのを最後に言われて引いてしまった。
先に言ってよ、と思った。

そもそも小規模な事業所が好きで、全員の顔と名前が覚えられるくらいが望ましい。
でも、あまりに小規模すぎると、マンションの一室とかでトイレがひとつというのも十分にありえる。
今回は、20名くらいのオフィスということで安心していたのだが、男女別ではないというのを聞いて驚愕。
共用の個室がいくつかあるのかもしれないが、もうそこを確認する気にもなれなかった。

11年前、離婚して一人暮らしになったとき、一番先にしたのは、トイレ掃除だった。
ピカピカにして、奮発した白いフカフカのマットを敷いてスリッパを撤去した。
夫は座ってしない人だったから、彼の「飛沫」がかかったかもしれない便座に腰を下ろすのが嫌だった。
トイレの床とリビングや寝室の床を同じように裸足で歩くというのが私の長年の憧れだった。

その半年後、お金に困って、渋々ながら間貸し人をおいたので、あえなく元の木阿弥。
しかしあまりのストレスに(トイレだけではなくもろもろを共用することに)強引に契約を解消して再び一人暮らしになった1年後、末期がんの兄を引き取ったので、またしてもトイレ裸足生活はおじゃんになった。
その兄を看取ってからは、もうどんなにお金に困っても、誰とも一緒に暮らしたくないという思いが強い。

白いトイレマットは、永遠復活している。

そういえばもっと昔、父や母の通い介護をしていた頃、実家のトイレの便座カバー(蓋じゃなくてU字のやつ)が湿っているように感じることがあった。
洗ったのが乾いていないんじゃなくて、あとから濡れたという感触。
それは、手を洗って拭く前の水滴がたまたま落ちただけかもしれない。
だけど。
老いた母を見ていると、どうしても「そうじゃない」という想像をしてしまう。
そして私は、便座に座れなくなった。
湿っていないのに湿っている感じがする。

それで、実家では中腰で用を足した。
便座が肌に触れることのないように浮かせているので、非常に疲れる。
ある意味スクワットのようなもの。
長居できない。

父のときは、おむつ取り換えのときにウンコを素手でつかんだり、下痢便を顔に浴びるような場面もあったのに、母のオシッコがかかった便座には座れない。
どうしてかわからない。
年を取って過敏になったのかもしれない。

このことを当時のブログに書くと、同じように介護をしている書き仲間から「私も!」というコメントをいただいて、「立ちションしたいよね」と盛り上がった。

実家はウォシュレットなどないボロアパートだったので、カバーをしないと母が冷たさを嫌がる。
濡らさないようにという注意はしたことはないし、する気もなかった。
私が中腰でやっていることなど、絶対に知られたくなかった。
その母も死んでしまった。

もう私は、二度と「濡れているように感じる便座」を心配することはない、はずだ。
駅や店でやむなくトイレを使用するときは、念入りに拭く。
コロナ以後は、携帯用の小さなアルコールスプレーを持ち歩いている。
我が国の公共トイレは、ほぼ男女別だし、無料ながら紙が備えてあるのが素晴らしい。

なのに。
採用してくれる会社は、男女共用だという。
男性社員のかたは、みんな必ず座ってしてくれるんですか?
などとは、訊けない。

ということで、また見送ってしまった。
こんな感じでも、求職活動はしていることになるので、たぶん明日くらいには今月分の失業手当が振り込まれると思う。

私は潔癖症ではない。
むしろ、自分さえ我慢できれば、掃除が面倒くさいタイプだ。
でも、だからこそ「汚さない」「散らかさない」ように心がけている。
そして、自分が汚したところはまだしも、他者が汚したところはさらに嫌なのだ。
それが愛する母であっても。

これからは、最初の応募の段階で「トイレは男女別」かを確認しようと思っている。



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風待ち
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