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ろくろ首の恐怖

ゆっくりと大きな息を吐いて下腹に力を込めた。
胸にたまった空気を押し出すようにすると、呼吸だけでなく自律神経が落ち着くような気がする。
根拠はない。
誰かが言っていたり、どこかに書かれていたというわけでもない。

子供のころは頻繁に金縛りにあっていた。
大人になるにつれ頻度は低下したが、まったく発生しなくなったというわけではない。
心臓の病気を疑って、ごくたまに検査も受けているが、金縛りが心臓発作であるという確証は得られていない。

世のすべてが科学で解明できるとは思っていないが、そこは感覚的なグレーゾーンにしておきたい部分だ。
だから、声高にスピリチュアルを叫ばれると引く。
占いや夢判断も苦手だ。

私にとって、霊魂やいわゆる超常現象の存在は、都度のご都合主義によってその有無を左右されるもの。
確固とした有無を決めない世界が、私にとっては一番居心地がいい。
UFOと幽霊はそれぞれ一度ずつ見たことがある。
有無を論じるには少なすぎる。

金縛りになる条件はわからないが、「来るぞ、来るぞ」という兆候がある。
今夜あたりはなるかも、みたいな予感。
そういう晩は、ベッドに入ったとき、肺だけでなく体の中を空にするつもりでゆっくりと息を吐きだす。

金縛りの頻度が低下したのは、このようにゆっくりと息を吐きだすという行為に効果があるような気がしている。
そもそもは、金縛りにあったとき、それまで懸命に息を吸おうとしていたのをやめて、吐こうと心掛けたら解けたという経験に基づく。

解けるときは「もうすぐ解けるぞ」という感覚はなく、唐突に解けていたと思う。
そして、息を吹き返したというか生き返ったような感覚になる。
ひどいときは、これが一晩に3回も4回も起こって、怖くて眠れなかったこともある。
繰り返した後は、かなり疲れる。
海水浴に行ってきたような疲れだ。

あるとき。
20年くらい前だ。
もうすっかり大人でおばさんでもあったけれど、予感の通りに金縛りが来た。
夫が出張で一人の夜だった。

解くために息を吐きだそうと懸命に力を入れた。
すると、スッと力が抜けて「意識が体を離れた」と思う。
感覚的には。

もともと金縛りのときには、目も見えるし音も聞こえる。
ただ、体だけが硬直して動かず、呼吸が苦しい。
しかしそのときに限っては、私の視点が少しずつ上昇していったのだ。
ベッドに寝た状態で見上げる天袋が、そのときはまっすぐ前にある。
視線を下げると、果たしてそこには、私の体が横たわっていた。

苦しさも違和感もなかった。
視覚と聴覚のほかは無感覚だが、イメージしていた「ふわふわした感じ」はない。
これがコントロールできるものかどうかもわからなかった。
何か意思を持てば、隣の部屋とか外とか行けるのだろうか。
疑問と好奇心と恐怖がせめぎ合う。

「ろくろ首」の退治法(?)は、首がびよーんと延びているあいだに、体を別の部屋に隠してしまう、というのを聞いたことがある。
「首」は自分の視界に入る範囲でないと戻れない、というのである。
たまに首だけが襖を越した部屋まで追ってくる妖怪絵があるが、あれは違うという説だ。

そのときに、それを思い出した。
だから、好奇心に勝つ勇気は持てなかった。
戻れないということが「死」なのか、人間とろくろ首の差はわからずじまいだ。

私は介護を控えていて、「まだ死ねない」と思っていた。

戻ろうとか戻りたいとか意識した記憶はない。
視点は、上ったときと同じように穏やかに下降した。
私の体が近づいてくるのが見える。

そして。
「スコン」と収まった。
それは予期していなかった快感だった。
溝を合わせるタイプのフタが何の微調整も加減もなく、一発で本体にハマったような感覚。
安堵とはすこし違うけれど、確実にあれは「カタルシス」だった。
この印象は、20年経ったいまも忘れられない。

UFOを見たのは小学生のときで、幽霊を見たのは中学生の頃だ。
どちらも見たいと思ったわけではなく、偶然遭遇した。
どちらも身の危険を感じるような状況ではなかったので、いつか再び見たいものだと思っていたが、その機会はないまま年を重ねた。
こういうものは、「見るぞ、見るぞ」と意気込んでいるときには見えないような気がしている。

世にある言葉に分類すれば、私の「幽体離脱」も一度きり。
そうかどうかもわからない。
ほとんどの人には「夢を見ただけ」と言われると思う。

しかし。
あれからときどき考える。
あんなふうに「死」を迎えられたらいいなと。
自分の体にさよならを言って、もう戻れないとわかっている外に出て、親しい人の姿や好きだった風景を眺めて、しだいにその視界がぼやけて消えてしまうような。

でも、そうなるまでに痛いとか苦しいとかつらいとか感じなくちゃならないのは嫌だな。

遅ればせながらネトフリで「瞳の奥に」を見た。
全6回を一気見したあとに、伏線を確認する楽しみのためにもう一度見た。
ラストには賛否両論があったが、これはこれでありだと思うし、何よりこのダブルどんでん返しは私の「裏切られ願望」を充足させた。

話題の旬が過ぎたので、ネタバレを気にする必要もないかもとは思うが、もしここから展開を想像させたら申し訳ない。

もしコントロール可能な幽体離脱があるとして、体を離れた意識が外の世界を旅できるとしたら、私はどこに行くだろうか。
少なくとも、誰かを監視したり、他人の暮らしを覗き見るようなことはしないだろう。
誰かと比べたり、気の持ちようで得られるような、相対的で感覚的な幸せなど望まない。

今朝は、羽を持った巨大なオタマジャクシが私の肩にとまった夢を見て「ギャッ!」と叫んで目が覚めた。
「瞳の奥に」を2回も見たせいかもしれない。
悪夢に分類すべきかどうか微妙なところだが、夢判断や心理分析は不要。

読んでいただきありがとうございますm(__)m