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今日の続きの明日

去年の年の暮れ、翌年の正月早々大地震があるなんて思ってもみなかった。
ここに、故郷に帰る男たちの会話を載せている。

読み返すと、これまでとは異なる思いがある。

大晦日になると、よく母は言っていた。
「なぁんも変わらんがいね。寝て起っきたら明日になっとるだけやちゃ。今日の続きの明日がやて。」
そう言いながらも、なますやかぶら寿司を作ったりした。

私が嫁いでからは、夫の実家が最優先で、父が倒れるまで年末年始に顔を出すのも難しかった。
母は電話で「なぁんも来ていらん。正月言うたって今日の続きの明日や」と繰り返した。

今年ほど、年末感のない暮れは初めてだ。
退職したから「仕事納め」もない。
一人暮らしになってから、そろりそろりと始めていた「おせち仕舞い」が、今年はグンと進んだ。

レコード大賞を見なくなってから久しい。
大晦日から1日早まったのはいつのことだったっけ。
今年は、紅白も見そうにない。
去年は、いつもラストだった「蛍の光」の順番が前倒しされて、呆気にとられ、かつ気持ち悪い感じで終わった。
今年もそうかもしれない。

私の中の「大晦日」をバージョンアップできず、外れたものを忌々しいと感じてしまう。
そのくせ、面倒なことはとっととなくしてしまうという始末。
ご都合主義をどんどん極めていく私だ。

この秋のドラマは、結局「3000万」しか完走できなかった。
ドラマの出来不出来ではなく、私の感じ方の問題。
自分の人生と重なる部分がありすぎてもなさすぎても、うまく心が浸かれない。

昔はいいドラマがたくさんあったという懐古の気持ちは、ドラマの質だけでなく、経験の少なさゆえではないか。
若くて知らないから許せるみたいな世界。
年を重ねて、ここまでできなかったことはもうこの先もできなくて、だからこれからできる人、すでにできた人の世界が近づくと逃げ出してしまう。
日本語の歌詞、日本のドラマから遠ざかるのは、きっとそうなのだろう。

有名人の妊娠の発表とか、すごく嫌だ。
見聞きしたくない。
もう家族もいないのだから、自分で自分を守ったっていいじゃないかと思う。

このところ航空機事故が続いている。
うちのほうでは乾燥しているせいか、消防車のサイレンの音が多くなった気もする。
どうかなにごともない暮らしと世界でありますように。
暮れも新年も平穏無事な今日の続きの明日であるように。
それだけは、子供の頃から変わらない私の願いだ。


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風待ち
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