ちょっと知っている人よりも全然知らない人と話したい
昨日の続き、のようなもの。
銀杏の林を歩いていたら、不意に見つけてしまった。
私は極端な虫嫌い。
とっとと逃げればいいのに、逃げたいのに、撮ってしまった。
しかも、これを誰かに言いたくてたまらない。
言ってどうだというわけではない。
一人だから淋しいとか、このあと一緒に歩きたいというのではない。
でも、ここで生まれた命の痕跡が色づく季節まで形を保ったことを、まもなく朽ち果てて消えてしまう前に、ほかの誰かにも知ってほしいというような気持ち。
転がるように笑っているふたりの女性がいた。
箸が転がっても可笑しいと言われる10代ではなくて、アラサーっぽく見える。
そのふたりが、互いにポーズをつけた写真を撮り合っていた。
ポーズの指示をするほうは好き勝手言い、言われたほうは「えー、そんなのできないよー」と躊躇する。
でもふたりとも笑っている。
その恥じらいと「大丈夫、大丈夫、誰も見てないから」と笑い飛ばす相棒。
どんなヘン顔も大胆なポーズも自分になら見せて平気だよ、という丸ごと認容感が伝わって、ちょっとほのぼのした。
それで、隙を縫って話しかけた。
「誰かに言いたいんですけど、聞いてもらっていいですか」
冷静に考えれば唐突な申し出だが、丸ごと認容感の流れに乗っていたふたりは即座に「なに?なに?」と身を乗り出した。
こういうとき「どうする?」と言わんばかりに知った仲だけで顔を見合わせたりしないところがますます気に入った。
それで指をさして幹に視線を移した。
「ああっ!」のあと「へぇー!」になり、「夏からずーっとこのままあるんだねぇ」という感慨になった。
私は、「聞いてくれてありがとう!失礼しました!」と言ってそこを立ち去る。
こういうどうでもいいような、なんの足しにもならないような一瞬の関わりが好き。
向こうは「なに、あのヘンなおばさん」と思ったかもしれない。
まあ、いいや。
すぐに忘れる。
仕事の関係で何度か立食パーティーに出たことがある。
プライベートでは同窓会とか。
嫌いなのだが仕事ではやむを得ないし、同窓会は持ち回りの幹事だったから。
こういうとき、それほど親しくないけれど名前と顔は知っていて、前にちょっと話したことがあるという人に「風待ちさん!」と話しかけられるのが苦手だ。
一応「あー!久しぶりですね」とか応えるけれど、できれば見つかりたくなかったと思ってしまう。
別に相手が嫌いとかではない。
好きか嫌いかの土俵にも上がらない程度の知り合いだ。
だから、自分もそういうことはしない。
というかできない。
遠くから手を振って呼びかけて近寄って挨拶して、、、それからどうする?
この人、どういう人だっけ?
前に何を話したっけ?
思い出すのが面倒くさい。
「前に聞いたかもしれないんだけど」といちいち前置きをつけて、自分のその人への関心のなさを隠すのが疲れる。
こういうパーティー、知っている人がいれば行くという人もいるが、私は知っている人がいないのならまだ行く気になる。
一番いいのは、どの人もみんな知り合いがいない集まり。
ちょっと知っている人と話すなら、まったく知らない人と話すほうが話しやすいし楽しい。
だから、一人旅で知らない人と知り合いになっていく過程が好きだ。
ドミトリーに泊まったとき、グループが含まれているとうんざりする。
仲良しグループで来るんなら、自分たちだけで部屋を取れよ、と思う。
屋外で、人の少ないところに来るとマスクを外して手首にはめておく。
そこにテントウムシが止まった。
これは珍しいことではないので、そのまま振っておさらばした。
昨日は夏の暑さだったが、今日は風がひんやりしている。
吸い込むと肺がすっきりして気持ちがいい。
気候的には今日のほうが良かったが、土曜なので混雑しているだろう。
昨日は身体的に疲れたせいか、よく眠れた。
朝早く目が覚めてしまったので、洗濯をして、掃除をして、2杯目の珈琲を入れた。
緩い日射しが優しい。
冬こそ私の活動期。
涼しく(寒く)なるとワクワクする。