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世界は秘密でいっぱいだった

子供のころ、丸いケーキに憧れていた。
お誕生日とかクリスマスとか。
でも、結局、食べる機会のないまま、大人になった。

それなら、ショートケーキはどうかというと、それらは私にとって「ひとさまからいただくもの」であった。
手土産とかおよばれとかで食べられるもので、自分や親が自ら買うということは、まずなかった。
そういう特別なもの。

しかし、その非日常の食べものが、日常に忍び込むひとときがあって、そうするとその日常そのものが一瞬にして非日常になるのだった。

昔、「微笑」という雑誌があった。
それは、母が近所で懇意にしているお宅のリビングに、さりげなく置かれてあった。
母と同年代のその家の女主人が愛読しているのか、お邪魔するたびに、新しいものに「更新」されてあった。

大きな屋敷に彼女は一人暮らしだった。
子供はいない。
おそらくは、バツイチだったと思う。

親の遺した財産は豊富で、食うに困ることはないが、やはり淋しかったのだろう。
母と私の顔を見るたびに、遊びにおいでと言った。

ケーキを食べたいのだが、ひとつ買うのは恥ずかしいから、とよく言っていた。
でも、ふたつ買うといっぺんにふたつ食べたくなって太るでしょ、とも。

彼女は、自分を語るときには「おばさんはね」と言っていたけれど、私は、その人をどうしても「おばさん」とは呼べなくて、○○さん、と苗字を呼んでいた。

だから、母と私が行くと、必ずケーキが出された。
したがって、私たちは、予告なしの訪問はご法度と勝手に決めて、前日までに行きたい旨を告げることにしていた。
ケーキを買いに行ってもらわないとならない。
母も子もせこい。

私はときどき、リビングに置き去りにされた。
ふたりの女性が、私の知らないところで、何を話していたのかわからない。

今、その女性たちの年齢をすっかり超えて思うのは、亭主や元亭主の悪口はもちろんのこと、女としてのもろもろについてなど語ったのではないかと思う。
子供に聞かせられないような具体的な話。

今の私にそう思わせるものが、「微笑」だ。
その袋とじ。
持ち主によって、丁寧に開かれた袋とじだ。

今、その内容を詳らかに記載することは避けたい。
ただ、初めて見る言葉や図解(?)やテクニック(?)などのイメージ写真が、スポットのように思い出されて、それに衝撃を受けた自分のハトマメなマヌケ顔も浮かんでくることは確かだ。
へぇ~!

私はその頃もずっと、両親と同じ部屋で寝起きしていたから、真夜中のその行為をとうに知っていた。
活字の知識ではなく、リアルな空気で感じていた。

でも、どこの家庭も、そういうものだと思っていた。
しかし、それを活字にされるとビビった。
学術的(?)に解説されると、いやそれはそのあのつまり、いや、ですからそこのところはあれでもって・・・というしどろもどろ状態になるのだ。

記述、図解ともに、かなり具体的であった。
すぐに役立つ(のか?)

女性特有の病気や性病、更年期などの特集もあった。
わかるところもあり、わからないところもある。
しかし、わからないからといって、訊くことはできない。

袋とじの中には、!!!と???が詰まっていた。
思春期に差しかかった私には、なんだかちょうど良い加減の情報だったという気がしてならない。

今は、わからないことは何でも手軽に調べられる。
訊きにくいことは訊かずにわかる。
知らなくてもいいことまでわかる。

そこには、今しも母たちがリビングに戻ってくるのではないかと、ドキドキしながら、それでもこっそりと袋とじを見ずにはいられなかったような緊張感と期待感はない。
罪悪感もない。

あのころ、少女の世界は秘密でいっぱいだった。
大好きなケーキを食べるのも忘れて見入るような秘密の世界。

私たちが引越しをして、その女性とは疎遠になった。
また誰か新しい友達を見つけて、ケーキを誘っていたかもしれない。

それとも、誰も見つけることはできなくて、ひとりで「微笑」を読んでいたのだろうか。

その人は、60代で亡くなった。
それを母から聞いたのは、ずっとあとのことだ。
お金はあったから、生涯あくせくと働くこともなく、いい病院でいい治療を受けたと思う。
見舞いの人があったのか、知らない。


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風待ち
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