生と死の間の溝
前の記事で、故人の動画が見られないことを書いた。
昔からそうだ。
そこにいただいたコメントにリコメをしながら、しだいにその理由に思い当たるようになった。
これが、書くことの効用のひとつ。
生と死の間にある溝はとても深い。
懐古や愛情ではけして埋められない溝。
だから、もう死んでしまった人が動画の中で動き回ると、その溝を強制的に埋められているような感じがしてしまう。
徳川に大阪城の堀を埋め立てられた豊臣軍の気分。
ちょっと違うか。
でも、心の侵略感。
幼い頃、実の親に殺されそうになったことがある、らしい。
記憶はないが、母の思い出話から、その場面を朧に想像することはできる。
詐欺に遭い、住むところもなく、食べるものもなく、おっかない借金取りに追われ、いくら働いても追いつかない暮らしの中で、両親は何度となく一家心中を試みた。
しかし、いざというとき、私が泣いたから思いとどまったと母は言っていた。
私は、気持ち悪いくらい泣かない子供だったのに。
幼い頃から「死」は私にとって、ものすごく身近なものだった。
自分の意志とは関係なく、不意にそれは訪れる。
浅い眠りの中で、翌朝に目覚めないことは、私にとって特別なことではないと感じていた。
むしろ、今日の続きの明日として命や行動がつながっていくことのほうが奇跡と思えた。
親に起こされたことはない。
子供のくせに不眠症だったが、昼寝やうたた寝すらできない。
朝はいつも一番に起きて、まず家族それぞれの胸に耳を当てて鼓動を確認した。
目を離せば、私だけを置いてきぼりにして死んでしまうのではないかという不安が、日常的にあった。
そして、どんなに愛情が深くても、楽しい思い出があっても、死んだら「終わり」なのだ。
懐かしさなどでは、けして賄えない。
いじめに遭っても、自分が死のうとは一度も考えなかった。
だって死んだら終わりだから。
生と死の間の溝は、何者にもけして埋められないほど深いものなのだ。
そう実感しながら成長した。
だから。
そこを埋めようとするいかなる善意も愛情も懐古も、私の心を慰めない。
侵略でしかない。
死に怯えないで育ったなら、違った私になったかもしれない。
そうありたかった気持ちもある。
子供らしくない子供とよく言われた。
純真さや素直さは、私にとって演技でしかなかったが、大人はそれを見抜いていて小賢しいと感じたのだろう。
しかし私には、無知や無邪気は忌むべきこと、弱者に向けられた刃にほかならなかった。
年齢を重ねるにつれて、そして交通事故に遭って九死に一生を得てからは特に、トラウマや弱点を克服しないで生きることの効用を知った。
だから、ほかの人とは感じ方が違っても、そのままでいいと思っている。
ただ、違和感を持ったり、不思議だなぁと感じたりすることは、こうしてここに書く。
すると、何かのヒントで幼かった自分が現れて、こうして答えを言葉にしてくれるのだ。
ちょっとスッキリする。