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首が絞まった話
若いころからずっとタートルネックが好きだった。
冬場はなんといっても暖かい。
ヒートテックシャツの上にウール100%のタートルネックのセーター、その上にダウンコートを着て3枚で冬支度が整うのが、厚着が苦手な私には手軽でいい。
冬姿の定番だった。
過去形である。
更年期あたりから、私は感覚過敏?になった。
臭覚、聴覚、それから肌感覚。
苦手なニオイが増え、耳が良く聴こえる?ようになり、それまで平気だったものが「くさい」し「うるさい」。
それと、何かが肌に密着するのがうっとおしくなった。
それで、タートルネックが着られなくなった。
それどころか、普通の襟のついたもの全般。
昔は、無類のジャケット好きだった。
過敏になってからも、仕事のときはなんとか我慢していた。
でも、襟で重心が前に引っ張られる感じが気になる。
たぶん気のせいだと思うけど。
その意味でも、在宅ワークが主となったのは本当にありがたかった。
いまは仕事に行ってないので、着ているものはすべて襟なし。
冬でも、可能な限り襟ぐりが大きめにとってあるものを選択。
寒くてもかまわない。
特にパジャマとか、2サイズくらい大きめを選んで、だぶだぶしているのがいい。
スウェットとかで、袖口や足首に風が入らないように締まっている作りのものは勘弁してくれぇと思っている。
間違って買ってしまったときは、ゴムが早く伸びてべろべろになるよう引っ張っている。
もうほとんど服も買わなくなったが、店でチラッと見ると中高年向きの婦人服はハイネックが多い。
そういえば、母の服もほぼ襟があるか位置が高かった。
首は、「老い」が目立つ主要ポイントだ。
そこさえ隠せばなんとかなる?と思う人が多いのか、よくわからない。
私は、あまり気にしない。
というか、気にしたとしても、襟が肌に触れる不快感の排除を優先する。
ケアが足らないと非難されてもいい。
以前、友人とこの話になった。
「怪我をした傷痕があると、そこからシワになるのよ」
彼女は顎にあり、実は私は首にある。
傷痕はもうすっかりなくて、若い頃は、そんなことも忘れているほどつるりとしていたが、年齢とともに、それを鏡が思い出させてくれるようになった。
それは、中学3年の冬。
放課後の校庭を横切っていた私の前を、ひとりの男子生徒が走って横切った。
彼は、凧を揚げようとしていた。
一瞬、何が起こったかわからなかった。
息が詰まって、大げさでなく死ぬかと思った。
彼の持っていたタコ糸が私の首を巻いて、彼はそれに気づかずに、私を一周して走っていったのだ。
く、くびが・・・しまる・・・
近くにいた友人が気づいて、教師を呼び、誰かがその子をつかまえ、糸を切った。
それで私の呼吸は戻ったが、首にはすさまじい蚯蚓腫れが残った。
こういうとき、皮膚は切れないで、ただただ締まるものなのだ。
折りしも、高校受験前。
受験用の写真を撮るも、傷痕は生々しい。
スピード写真ではなく、写真屋さんが撮ってくれるやつ。
「修整しときますね」と言われた。
あとにも先にも、自分の写真を修整したのは、これ一度きりである。
写真屋さんは、私の首の大きな傷痕を、どう解釈しただろう。
受験勉強のストレスで自ら人生を終わらせようと想像したかもしれない。
「修正しときすね」の微妙なニュアンス。
そのさりげなさの演技が、さりげなくない!
祖母の介護もあったのでストレスはそこそこ溜まっていたが、受験とはなんの関係もない。
そもそも、ほぼ受験勉強はしていない。
それ以降しばらくは、空に舞っている凧を見ると、あのときの恐怖と憤懣が蘇った。
これは遊び道具じゃない。
殺人道具だ、と。
しかし、時を経るにつれていつしか忘れてしまっていた。
そして、さらに時が流れて、襟なし生活になってから思い出したのだ。
世の中にはさまざまな体験をした人がいるけれど、タコ糸で首を絞められた人はそういないよね。
しかも、揚がっている凧で。
これを言ったら、シワの件を話していた友達が大ウケして爆笑してくれた。
生きてりゃいろんなことがある。
そのほとんどは、もう笑って語れる。
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