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人生を支えた音楽

新しいラグが届いた。

我慢できずに取り替えた。
冷え性とは無縁の私は年中手足が熱くて、冬でも布団から足先を出して寝る。
肌に当たる部分が仄かに暖かくて、まだ早いなぁと思うけれど、今日の涼しさに紛れて敷いてしまった。

一人暮らしになってからは、家事のときはいつもお気に入りの音楽を流している。
それとは別に、あまりにつらいときに、いつのまにか心の中に湧き上がる曲がある。
自分応援歌。

ひとつは、井上順の「昨日・今日・明日」
彼のファンというわけではないし、自分でもどうしてなのかわからない。
テレビで覚えたその歌詞に導かれるように、過去と現在と未来を分け、旅人になる自分を夢想し、それを励みに耐えた。

そうよ、いつか何から何までつらい日は終わるのよ。
私は、列車に乗るのよ。
そして、中学の卒業を待った。

何から何までつらい
昨日が終わった今日は
涙さえ風に散る
さようならと

今日から明日へ向かう
列車に飛び乗りそして
誰にでも声かける
こんにちは

昨日は昨日さ終わった日さ
明日は今日のために始まる日さ

悲しい話はちぎり
窓から捨てたらいいさ
すぐそこに待っている
幸せが待ってる

「昨日今日明日」

私は、歌詞のとおり、旅人になった。
つらい日常も、旅に出れば別の私になれた。
その別の私こそが、素の自分だった。

しかしその後、結婚し、想像していたのとは違う暮らしの中で、不妊治療のあげく「子供の代わりにあなたが死ねばよかったのに」と言われて心が凍結する事態になった。
凍っていた10数年の間に、どんな歌が流行ったのか思い出せない。

「解凍」されて、突然、感情の海に放り出された私は、「日本語」が心に沁みにくくなっていた。
つらいときは、むしろうっとおしいと感じてしまう。
そんな簡単な言葉で片づけないで。
お願いだから、ありきたりな言葉で私を励まさないで、というような。

ダブル・トリプル介護と仕事と家事とモラハラ夫・モラハラ姑への対応にいっぱいいっぱいだった。
貧血と生理痛と更年期障害の症状が大きく、病院は入院を勧めたができるはずもない。
美しく感動的なメロディーに乗せた言葉が、なんだか上滑りする。

言葉をいじる仕事を副業にしたことも大きい。
やがて正業になり、いままた副業に戻しているが、ひとさまの文章を見たり直したりするときに、耳に触れる日本語の歌詞は邪魔になる。
日本語の歌を聴かなくなった。

代わりに入ってきたのが、Kelly Clarkson(ケリー・クラークソン)「Breakaway」だ。
最初は誰が歌っているのか知らなかった。
そんな歌手がいることすらも。

実親の介護やその生活のためには、私が離婚して実家に戻るのがベストだとずっと思っていた。
でも、いくつもの事情があってなかなか実現できない。

小さな町に育ったの
雨が降っているときは、ただ窓の外を眺めてた
夢見ながら

もしハッピーエンドを迎えられるなら祈りもした
手を伸ばそうとしてあがいてた

でも私が声をあげようとしても、誰にも聞こえていないような気がしたの
ここにずっといたかったけど、何かが違っている気がした
だから私は飛び立つことを願った

私は羽根を広げて、飛び方を覚えるわ
空にたどりつけるまで、何だってするわ
願い事もするし、挑戦するし、変化を起こすわ
そして飛び立つの

暗闇から光へと

でも私は、自分が愛した人たちを忘れない
リスクをおかして、挑戦するし、変化を起こすわ
そして飛び立つの

〈中略〉

高層ビルが並ぶ中、回転ドアの中を歩く
行先はどこなのかわからないけど、とにかく動かなきゃいけない
遠くへ飛び立つの

私は羽根を広げて、飛び方を覚えるわ
さよならを言うのは簡単じゃないけれど、
リスクをおかして、挑戦するし、変化を起こすわ
そして飛び立つの

暗闇から光へと

でも私はこの場所をずっと忘れない
リスクをおかして、挑戦して、変化を起こすわ
そして飛び立つの

トリプル介護の最中に父が死んだ。
危篤の知らせがあったとき、私は婚家で正月の支度をしていた。
私の実家を蔑み、母の手製のおはぎをその場で突き返した姑のために。

実の母はもっとちゃんと私が看て、最期まで看取りたい。
そのときはまさか兄が先だなんて想像していなかった。

そして、離婚した。
現預金2万円。
しかもパート勤務だった。
でも。
リスクをおかして、挑戦して、変化を起こした。

歌詞を詳しく知ったのは、最近のことだ。
それまでは、自分がわかる単語だけを途切れ途切れにつなげていただけ。
なのに、サビのところでいつも涙が出る。

母と兄を看取り、自由な一人暮らしになって、すこしずつ、日本語の歌も聴けるようになってきたが、いまもやっぱり英語やフランス語やイタリア語の歌が好き。
でも、私の人生で、この2曲が占める位置は不動のもの。

3年前の交通事故で崩れた体のバランスを保つためと、これ以上の不慮の事態を避けるため、駅や会社の階段の上り下りの際に、なんとなく心の中で歌ってしまう歌がある。

水前寺清子の「365歩のマーチ」の途中の「腕を振って 足を上げて」というところを意識し、注意しているわけだ。
「幸せは歩いて来ない だから歩いて行くんだね」
という冒頭は、これまで生きてきて本当にそうだと感じている。

それで、続きを
「1日100歩 3日で300歩 300歩歩いて2歩下がる」
と歌っている。


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風待ち
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