人生を支えた音楽
新しいラグが届いた。
我慢できずに取り替えた。
冷え性とは無縁の私は年中手足が熱くて、冬でも布団から足先を出して寝る。
肌に当たる部分が仄かに暖かくて、まだ早いなぁと思うけれど、今日の涼しさに紛れて敷いてしまった。
一人暮らしになってからは、家事のときはいつもお気に入りの音楽を流している。
それとは別に、あまりにつらいときに、いつのまにか心の中に湧き上がる曲がある。
自分応援歌。
ひとつは、井上順の「昨日・今日・明日」
彼のファンというわけではないし、自分でもどうしてなのかわからない。
テレビで覚えたその歌詞に導かれるように、過去と現在と未来を分け、旅人になる自分を夢想し、それを励みに耐えた。
そうよ、いつか何から何までつらい日は終わるのよ。
私は、列車に乗るのよ。
そして、中学の卒業を待った。
私は、歌詞のとおり、旅人になった。
つらい日常も、旅に出れば別の私になれた。
その別の私こそが、素の自分だった。
しかしその後、結婚し、想像していたのとは違う暮らしの中で、不妊治療のあげく「子供の代わりにあなたが死ねばよかったのに」と言われて心が凍結する事態になった。
凍っていた10数年の間に、どんな歌が流行ったのか思い出せない。
「解凍」されて、突然、感情の海に放り出された私は、「日本語」が心に沁みにくくなっていた。
つらいときは、むしろうっとおしいと感じてしまう。
そんな簡単な言葉で片づけないで。
お願いだから、ありきたりな言葉で私を励まさないで、というような。
ダブル・トリプル介護と仕事と家事とモラハラ夫・モラハラ姑への対応にいっぱいいっぱいだった。
貧血と生理痛と更年期障害の症状が大きく、病院は入院を勧めたができるはずもない。
美しく感動的なメロディーに乗せた言葉が、なんだか上滑りする。
言葉をいじる仕事を副業にしたことも大きい。
やがて正業になり、いままた副業に戻しているが、ひとさまの文章を見たり直したりするときに、耳に触れる日本語の歌詞は邪魔になる。
日本語の歌を聴かなくなった。
代わりに入ってきたのが、Kelly Clarkson(ケリー・クラークソン)「Breakaway」だ。
最初は誰が歌っているのか知らなかった。
そんな歌手がいることすらも。
実親の介護やその生活のためには、私が離婚して実家に戻るのがベストだとずっと思っていた。
でも、いくつもの事情があってなかなか実現できない。
トリプル介護の最中に父が死んだ。
危篤の知らせがあったとき、私は婚家で正月の支度をしていた。
私の実家を蔑み、母の手製のおはぎをその場で突き返した姑のために。
実の母はもっとちゃんと私が看て、最期まで看取りたい。
そのときはまさか兄が先だなんて想像していなかった。
そして、離婚した。
現預金2万円。
しかもパート勤務だった。
でも。
リスクをおかして、挑戦して、変化を起こした。
歌詞を詳しく知ったのは、最近のことだ。
それまでは、自分がわかる単語だけを途切れ途切れにつなげていただけ。
なのに、サビのところでいつも涙が出る。
母と兄を看取り、自由な一人暮らしになって、すこしずつ、日本語の歌も聴けるようになってきたが、いまもやっぱり英語やフランス語やイタリア語の歌が好き。
でも、私の人生で、この2曲が占める位置は不動のもの。
3年前の交通事故で崩れた体のバランスを保つためと、これ以上の不慮の事態を避けるため、駅や会社の階段の上り下りの際に、なんとなく心の中で歌ってしまう歌がある。
水前寺清子の「365歩のマーチ」の途中の「腕を振って 足を上げて」というところを意識し、注意しているわけだ。
「幸せは歩いて来ない だから歩いて行くんだね」
という冒頭は、これまで生きてきて本当にそうだと感じている。
それで、続きを
「1日100歩 3日で300歩 300歩歩いて2歩下がる」
と歌っている。