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こっぺの皿にぶり
凡筆堂さんのこちらの記事を拝読した。
コメントに書いたように、私は崖崩し派だ。
ご飯の山を端っこから崖を崩すように一口分だけルー側に寄せる。
あるいは、崩した一口分にルーをかける。
そして、そこだけ混ぜる。
このとき、落石のごとく転げ落ちたご飯の粒が、ルーの大海に飛び込んではならない。
万一漂流の憂き目に遭う飯粒あらば、即座に食する手を止めて、これを救出し隔離する。
ここと決めた部分に限って山と海の境界を取り崩し、固体と液体を融合させてよいのは、私だけなのだ。
私はクレーンを振るうごとく、神のスプーンでそれを執行する。
そうして、常に同じ割合で山と海が減少していき、同時に果てるのがよい。
しかし、最後のルーだけは、ご飯に対して少な目にする。
かけたルーがすこし足らないなぁというところを、ご飯で皿のルー部分を満遍なく拭うことで、皿についたルーの汚れ(食べ終わると食べ物が即『食器汚れ』になる不思議)を極力減らすことができる。
ご飯とルーを最初から全部混ぜしてしまうのは見た目が良くないというのはわかるけれど、私はむしろ、食べ終わったあとの美しさにこだわる。
どうせ洗うんだから同じ、とは思わない。
作業量ではなく、感覚の話だ。
郷里には「こっぺの皿にぶり」という言葉があって、これは「皿ねぶり」の音変したものと思うが、「こっぺ」は香箱ガニ(コウバコガニ)のこと。
香箱ガニとは、セコガニのこと。
するとセコガニってなに?と訊かれる。
セイコガニという地域もある。
真冬の短い期間限定で日本海で水揚げされるズワイガニ。
越前ガニや松葉ガニのブランドは有名だけど、市場で庶民が飛びつくのが子を持った雌。
雌だけを特別に香箱ガニと呼んで、外子(卵)より内子(卵巣)の濃厚な味わいに、皿までねぶらずにいられない。
母は、まるで器を洗ったように、痕跡を残さずに食べ物をたいらげた様子を、こっぺに限らず「こっぺの皿にぶり」と言った。
これは、我が家では誉め言葉であった。
用意した側からすれば、微笑ましくて喜ばしいような食いしん坊ぶり、意地汚さである。
カレーだけでなく、シチューやスープも、ご飯やパンの最後の一口で拭って食べる。
私の食べ方は「皿にぶり」しやすい食べ方なのである。
器の淵やスプーンの裏にご飯粒がついたまま「ごちそうさま」なんてのは言語道断。
絶対に許せない。
ついでに。
昔、経木の折に入ったお弁当は、蓋の裏にご飯粒が付きやすかった。
私は、必ずこの蓋裏のご飯粒から食べる。
カップのアイスクリームの蓋の裏も、最初にスプーンでわずかなクリームをこそぎ取る。
ケーキに巻かれたフィルムのクリームも同様。
一人で家で食べるときは、躊躇せず舐める。
友人に、食べ終わったアイスクリームのカップに水を注いできれいにして、それを飲むという人がいた。
驚愕と感動。
それはやったことがない。
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