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残り声
彼女は、上野駅に着く長距離列車で上京したらしい。
ちょっと茶色がかったショートへアの似合うハスキーな声の持ち主だ。
私より、ふたつみっつ年上だったと思うが、当時の私には、もっとお姉さんに見えた。
「歌手になりたいのよ」
と彼女は言った。
丸の内線の後楽園駅と総武線の水道橋駅の中間に、猫の額ほどの変形の土地があり、モルタルがはげてシミの浮き出たビルが、見事というほどにギリギリに建っていた。
その一室が、私たちの職場だった。
社長と社員が1名ずつ。
アルバイト雑誌で応募してきた彼女と私の2名が期間限定で採用された。
クライアントの希望に副ったオリジナルの地図を作る会社。
窓から、垂直に落下する乗り物が見えた。
結婚前のまるっと昭和の話である。
私たちは、ある不動産会社を担当し、関東地区の地価図の作成にあたっていた。
いまなら、ネットで検索するとサクッと出てくる。
細かい作業で、眼が疲れると、よく窓から遊園地を眺めた。
そんなとき、彼女はいつも歌を口ずさんだ。
「氷雨」。
私は、正直言って演歌が苦手。
そこに歌われるドロドロした感覚にうっと思ってしまう。
ドロドロした人間関係で育ってきていたので、歌の世界までやめてよという気持ちと、複雑な愛憎を安易な言葉で綴られることへの「わかってたまるか」的な反発。
けれども、毎日「氷雨」を聞かされるうちに、なんとなく憶えてしまった。
彼女の歌うそれは、あとでオリジナルで聞いたものよりも迫力があって「覇気」のようなものを感じた。
巧いというのではないが、とらえて離さないような声だった。
「でもね、こういうのは運もあるからね」
彼女は、ときどきそんなふうに言って、やっぱり遊園地を見た。
私は、卒業はしたものの、なんの夢も持ちえずに、ただ現実から逃げるような旅を繰り返しながら、失った恋を思っていた。
その人とその人の生まれた街で暮らすことが、それまでの私の夢だったから。
何になりたいとか、こういう会社に入りたいとか、思う間もなく、ただただ平凡で平穏な家庭が欲しかったから。
後楽園遊園地のその垂直落下の乗り物に、私はその人と一緒に乗ったことがある。
半年かけた地価図が完成して、私と彼女と唯一の社員だった男性との3人でお疲れ様のお酒を飲んだ。
彼女は、べろんべろんに酔って、泣いた。
泣きながら、やっぱり「氷雨」を歌った。
呼応するように、空から冷たい雨が落ちてきた。
タクシーを拾い、社員の男性が彼女を送っていくと言った。
私は、ひとり電車に乗った。
それが最後。
それきり、彼女に会うことはなかった。
私は振り込まれた給料をおろし、また一人旅に出た。
想い出を振り切るように。
諍いの絶えない家庭から逃げるように。
それから何年もの時が流れ、たまたま「氷雨」の話題になったとき、友人たちにこの話をした。
すると、その一人が「送っていった男性社員とそのバイト女性が一夜をともにしたかもね」と言った。
なるほど、そういう可能性もないわけではないけれど、それは私の好みじゃない。
だから、私の想像では、彼は彼女をアパートの前まで送り届けたら、ためらいがちに別れの握手をしたあと、くるりと踵を返して待たせていたタクシーに再び乗り込んだというもの。
すると、別の友人がこう言った。
ある日、街で二人を見かけるかもよ。
二人の真ん中には手をつないだ小さな男の子がいたりしてね。
私は自分がこういう想像を排除していたことを自覚して、こっそりと慄いた。
もうそのとき、自分が子を持つことをあきらめていたから。
それからまた長い年月が流れた。
冷たい雨が降る季節になると、意図せずにこのエピソードを思い出す。
彼女は、あのときの夢とは別の夢を叶えて、いまは穏やかに暮らしている。
そして、同じ時代を過ごし同じ流行り歌を聞いた仲間たちとたまにカラオケに行って、この歌を歌っている。
その帰り道、私たちは、どこかの街角ですれ違う。
でも、気づかない。
彼女は、同行の友人に昔語りをする。
その思い出の中だけにあの彼と、私が登場する。
彼女はもう、私の声など憶えていない。
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