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癖の崩壊

私が中学生くらいのとき、父が何度目かの退職をして、何度目かの事業を起こした。
これも、私が嫁いだあとに父が倒れて破綻するのだが、結果として一番長く続いた。

それまで母と兄と祖母と私がやっていた内職のひとつが、このとき家業になった。
すこし前から、祖母が寝たきりになっていたこともある。
母がパートを辞めて家の仕事をやるようになり、祖母の在宅介護も分け合った。

私は自己流で帳簿をつけていた。
簿記なんてものは知らない。
教えてくれる人は誰もいない。
でも、必要に迫られたのと、どうしたらもっとわかりやすく効率的にできるかを試行錯誤し、結果的に経理の実務もどきを経験から学んだ。

50を過ぎてから資格をいくつも取ったが、仕事やお金儲けに活かせるものはほとんどない。
資格がものをいう分野、たとえば簿記などは、まったく取る気にもならない。
現実では、実務経験はなくてもよいが資格が必要だといわれることが多い。
でも、どうしても「何をいまさら」と思ってしまう。
知識より先に感覚を身に着けてしまうことの弊害は案外多い。

子供のころから、パートに来てくれる近所の女性(同級生のお母さんもいた)の仕事ぶりを密かに考課していた。
この人はおしゃべりが多いわりに手が動いていない、とか。

下請け(孫請け)として内職でやってくれるかたがたの工賃も決めた。
仕入も支払も売上も全部帳簿に付けているので、自ずと利益に対する感覚が鋭くなる。
すると、身の回りにあるあらゆるものの原価計算が癖になるのだ。

ショッピング街やデパートをうろうろするのは好きなのに、購入ができない。
商品を見ると、原料がいくらぐらい、工賃がいくらぐらいかをつい想像する。
流通過程でかかるさまざまな経費もある。
製造や流通のひとつひとつの過程を想像する。
固定費や人件費。
妄想癖がここでも発揮される。

そもそもの基準が、自分の家の安い工賃になるから、見るものすべてがほぼ「高い」という感覚になる。
いったい、どこにこんなに利益が流れているんだという憤りが、購入意欲を削ぐ。
お金がないから買えないというより、他人様の儲けがムカついて買えない。
そんな少女時代を過ごしたら、計算高く腹黒い大人になるのもしかたあるまい。(自己弁護)

いまも自分の暮らしにまったく関係のない商品や会社をよく検索する。
少女時代にネットがあったら、もっと詳細に原価と利益を計算できただろうと思うと、ちょっと悔しい。
だからなに?という話。

数年前、とある資格試験の会場が某大学だった。
そこはかつて受験で落ちた大学。
でも、再び構内に入れるのが嬉しかった。
しかし当日。
駅からさほど遠くないのに、案内の人がそこかしこに配置されている。
看板持って立っているだけだが、これはバイトなのか。
いくらくらいなのか。
いくらだったらやる?

人数に掛け算する。
いまどき、道に迷ったらスマホで検索するだろう。
ここの人件費はかけ過ぎではないのか。

大学に支払う会場費はどれくらいだろうか。
会場レンタルで食っているわけじゃないし、学生が休みのときの利用だからそう高くしなくてもかまわないと思うが、大勢の人が一気に出入りすることでメンテナンスの必要が生じるかもしれない。
世間に叩かれないように授業料を抑えて、こういうところでぼったくっているかもしれない。

受験日は日曜だったから、職員は休日出勤扱いになる。
代休が取れればいいが、さもないと35%増しだなとか。

そんなこんなのもろもろが加味されて今日の受験料になっているわけだな。
これは妥当なのか。
高過ぎないか。

会場借りて受験生を集めるよりネットで受けられるほうが、紙や印刷費も抑えられるよね。
そういう資格試験も結構受けた。
だとすると、同じような受験料だと、ネット受験のほうがぼったくってるのか。

今日は何人くらい受けているんだろう。
主催者の儲けはどれくらいか。
試験直前の会場で、私はそんなことを考えている。
そんな余裕があったら、勉強しろよという話だ。

飲食店では、家で食べられるものをあまり注文したくない。
自分で作れないもの、作るのが面倒なものを、店でお金を払って食べたい。
なので「家庭の味」がウリの店は選ばない。
そもそも、これが食べたいというより、この店の雰囲気が味わいたいと思って入ることが多い。

物価が高騰して、ラーメンの「1000円の壁」が話題になっている。
去年もなった気がするが、ここ数年、あらゆる店と消費者が値上げの壁と戦っているのだろう。

先日食べた「いちごクリームあんみつ」は消費税を足すと1000円を超えた。
数年ぶりだからたまには贅沢してもいいかと思ったのだが、甘味が超えられる1000円の壁を、ラーメンが超えられないのはどうしてだろうか。

私は、たまの贅沢でも1000円のラーメンはたぶん食べない。
ついこのあいだまで、ラーメンは500円玉ひとつで食べるものというイメージが濃かった。
チャーシュー麺でも800円くらいでしょ、と思っていた私は、ものすごく世間知らずということに気づいた。

ラーメンの適正価格はいったいいくらなのか。
原材料価格だけでなく、その店しか出せない味を捻出、維持する手間をどう金額に換算すればいいのか。

昨今の物価高は、私の長年の原価計算の癖も壊しつつある。
しかし原価計算ができなくなっても、見るものすべてを「高い!」と思う感覚だけは変わっていない。
いやいや、これは私だけじゃないはずだし、「感覚」の問題じゃなくて、現実として高いよね。


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風待ち
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