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1/4 ふくおかの国際協力 | 原田君子(NGO福岡ネットワーク )

第1回:きっかけは遺言

私が、長い間活動してきた「国際協力」について、少し振り返って見ようと思います。正直なところ、海を越えた国の活動をまさか自分が始めようとは、思ってもいませんでした。

きっかけはと聞かれれば「遺言です」と答えています。

とある会を立ち上げた友人は、1995年に病気で亡くなるまで、病室のベッドで最後の最後まで病気と闘いながら、会の活動を続けていました。会の話をする時の友人のキラキラした目が、今でも思い浮かびます。亡くなってまもなく、ご家族から「活動を引き継いで欲しいと言って。」と頼まれたと伝えられました。会の手伝いはしていましたが、タイ語も英語も知識のない私に、会の活動を引き継げるなんて思っていなかったので、とても驚いたことを覚えています。

会の発足は1992年。タイ・バンコクの最大のスラム街で学校に通えない子どもたちのために、里親活動としての奨学金支援を福岡で始めていました。「子どもたちが学校に通えなくなる」と思った時、続けるという選択しかなかったなと、遠い昔の話ですが思い出されます。

すでに経験していた地域での活動も、国際協力の活動も、やっていることは同じだ(全然違いますが、)と自分に言い聞かせ、まずは引き継いだ資料の整理から始めました。活動としては、友人がこだわっていたタイ料理の教室を、仲間やタイからの留学生の助けを借りながら続けることがメインです。並行して「国際協力についての勉強もしていかないとなー」と、勉強嫌いな私でしたが、市・県の情報を見つけては「国際」について学びたいと、いろんな所に通いました。なかなか私が求めている内容には出会えませんでしたが、学びに無駄はないということでしょう。積み重ねていったいろんな事が、知識として残っていきました。
とくに、友人がすでに加盟していた、国際協力の活動をネットワークで支援する「NGO福岡ネットワーク」は、私の大きな学びの場になりました。その当時は、代表者会として毎月1回の定期的な会議が行われていて毎回参加することに。当初は、初めて聞く言葉ばかりが毎回飛び交い、チンプンカンプンな時間で、小さな英和辞典を片手に言葉を理解したいと必死でした。だけど、会議の後の「飲みにケーション」の時間は、最高でした。団体の運営に関することや、特に国際協力への思いについて、熱気あふれる語らいは、どの講義を聴くよりも最高の学びの時間になりました。

第2回「愛の反対は…」