なぜ自分にひどいことを言ってはいけないのか
毎年受験シーズンになると思い出すことがある。高校3年生の冬、勉強机の上に立てかけていた小さなホワイトボードのことだ。自分に叱咤激励のメッセージを書いて、勉強する際に見るようにしていた。当時は高校の裏にある寮に住んでおり、夜は机の横の大きな窓から、まっさらな雪が積もっていく様子がよく見えた。
当時の私は、東京のとある有名私大の一般試験に受かろうと猛勉強していた。高校一年生の時に進学を志望にしていた学校なのだが、紆余曲折を経てアメリカで正規留学をすることにしたため「もしも進学先のアメリカの学校から、返済不要の奨学金が十分に出なかった場合の保険」として、その私大に受かりたかった。
ホワイトボードの文字は、今思い返すと叱咤激励というより、いじめに近い言葉だったように思う。こんなことでアメリカで戦えるのか、生き残れるのか。甘えるな、もっと限界までやり切れと。時は平成だったのに昭和みたいな根性。当時はYouTubeやTik Tokのような、動画ベースのSNSが今ほど普及していたわけでもない。海外で同世代の子たちがどんな暮らしをしているのかは、ブログやFacebook、テレビやニュースで見て知り得る程度だった。今と違い、情報を集める方法が限られていたと言える。リアルを知らないからこそ怖かったし、知らないからこそ、思い切って飛び込もうと思えた。
ボードに書いていた言葉の中で、今でも覚えているのが「努力しなけりゃただの猿」だ。どうやってこんなパワーワードを思いついたのか自分でもわからない。今考えると、猿だって生きるために日々努力しているのだから、失礼極まりない。でもそのくらい自分に厳しかったということなのだろう。あれだけ努力をしていても、まだ一端の「人」になるには足りないと思っていたということか。
あのホワイトボードのことを後悔したのは、アメリカで最初の一年を終えて一時帰国した夏。恩師たちに挨拶をしようと母校を訪れた際、元寮生として再び寮の建物内に入らせてもらった。当時の女子寮は特殊で、学年の異なる3ー4人が、布団を敷いて同じ和室で寝ていた。学期ごとに部屋割りが変わって、3年生が部屋のリーダー、2年生が調整役、1年生は雑用係になることが多かった。
皆が布団を敷いて寝る和室の他には、一畳半ほどの勉強スペースがパーティションで仕切られ、それぞれの個室になっていた。その個室は廊下からカーテンで仕切られているだけで、本人が中にいない時は、カーテンを開けて縛っておく決まりだった。
私が3年生の時に新入生として迎えた後輩の机に、応援のメッセージを添えたお菓子を置きに行ったのだ。6月の蒸し暑い日だった。記憶の中ではまだ幼かったその子も、部活を卒業して、もう受験生になっていた。
括られたカーテンを避けて机にお菓子を置こうとしたとき、ふとその子も私と同じように、ホワイトボードを壁に立てかけているのが見えた。あの時の私と同じだった。自分を叱咤激励する様々な言葉がそこに並んでいた。自分を蔑むようなコメントもあり、胸が軋んだ。
愛嬌があって真面目で、周りから愛される子だった。彼女もどこかのタイミングで、私の机に手紙を置きに来た時などに、あのホワイトボードを見たのかもしれない。自分に向けていた脅しの刃が、まさか後輩にまで伝わってしまうとは思っていなかった。
令和の今は、私が高校生だった一昔前とは違い「自分に優しくあろうね」という風潮が強い気がする。賢く無駄は省きつつ、ユニークでたった一人の自分の強みを活かそう、人生の早いうちに打ち込めるものを見つけて投資していくのが大事だ、と。だって小学生だってネットで瞬く間に有名になったり億を稼げる時代だから。
でもそういった、身の振り方の問題以前に、自分が好きだと思う相手には、自分自身のことを大事にしていてもらいたい、と願うのも人の常かもしれない。誰か特定の「推し」がいる人にも共感してもらえるかもしれないが、私が大好きだ、幸せになってほしいと願う相手本人が、自分を卑下したり傷つけていたりしたら、悲しい。やりきれない気持ちになる。
「頑張ればもっとすごい自分になれるはず」と自分に過度な期待するのは、若者の特権だろうか。そりゃあ現役生は最後の追い込みで伸びると言った言説も、教員たちからたくさん聞かされた。それでも30歳を目前にした今、当時17、18歳の女の子だった自分や後輩の姿を思い浮かべると、胸が締め付けられる。
人に優しくするためにまずは自分に優しくしよう、と言われるようになって久しい。ダメな自分も含めてぜんぶ自己受容して、自分を甘やかしていこう、という内容の発信もよく見聞きする。それは、裏を返せば、日々限界まで頑張っているにもかかわらず、自分の現状を否定している人が多い、という裏返しでもあるのだろうか。
大好だった後輩に、私は意図せず悪影響を与えてしまったのでは、と時折考えることがある。それ以来私は、自分にひどい言葉を投げることで自分を限界まで追い込むことはやめた。頑張る時は自分の味方でいようと努めている。それは、私の周りにいる友人たちにも、同じように自分を扱ってほしいと願うようになったからだ。
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