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午後4時、バンクーバーの地下鉄から愛を込めて

オフィスからの帰宅途中、駅前の大きな薬局の前でバスを降りる。空はどんよりと重く、今にも小雨が降り出しそう。

ホットドックの屋台をすぎたところにある街頭の根元に、ボロボロの格好をしたおじいさんが座っている。ドーナツ屋の赤い紙コップを手に、道ゆく人たちから小銭を求めている。首からぶら下がっているのは「今日は僕の64歳の誕生日です」と書かれた段ボール。

早くも帰宅ラッシュが始まっている交差点で、チューリップの花束を抱えた男性とすれ違う。誰か特別な人の誕生日なのだろうか。

地下鉄に向かう長いエスカレーターを降りると、広場のような場所に出る。その一角に、琴とギターの中間みたいな楽器(バンドゥーラという民族楽器らしい)を弾く若い男の子。ウクライナの国章が背中に大きく描かれた、青と黄色のパーカーを着ている。

改札に向かう途中ですれ違ったのは、バンクーバー美術館前の広場で行われる、パレスチナ解放のためのデモ後進に向かう女の子たちのグループ。


これが全て、60秒の間に起きている。

なんという世界に生きているんだろう、私たちは。


戦争、貧富の差、構造的暴力。

アカデミー賞をとった映画「パラサイト」で、お金持ちの夫婦が「地下鉄に乗る人たちからは独特の匂いがする」と言っていた場面をふと思い出しつつ、電車に乗りこむ。


バンクーバーは、車を持っている人にとっては小さく思える街だ。その反面、車を持っていない住民も多い。私もバスや電車に頼って日々生活をしている。
そんな多くの人にとってライフラインであるバスでさえ、たったの総勢18名の中間管理職が起こすストライキで簡単に止まってしまう。仕事に行けないことで一番困るのは、低賃金で働くワーキングクラスの人たち。その日のシフトに行けないというだけで、その月の生活費に支障が出るほど困ってしまう。そんな人たちを人質にとって、ストライキは行われる。

…構造的な暴力。

この土地で私は移民であり、上記のような低賃金労働者の一人であり、若い女であり、有色人種である。経済活動の中では下層に位置する者として、周りで起きることを甘んじて受け入れるより他にない。自分自身が今持っている仕事や居住環境に感謝して、関わる人たちを大事に思いながら、それでも落ちていく時は落ちていく。そういう感覚を持ちつつ、毎晩泥のように眠る。


ふと考えることがある。10年前、日本に住み続けるという選択をしていたらどうなっていただろう、と。今と同じように「それなりに幸せな人生」を送れていただろうか。

英語がちょっとできる日本人として、都内にある4年制の私立大学を出て、そこそこの企業に就職して、週末を楽しみにしながら毎日12時間くらい働いて…毎週がその繰り返し。仕事に趣味にと、それなりにのんびりと楽しい生活はできていただろう。もちろんその国の国民として生きるなら、ビザの更新に頭を悩ますこともないし、人種差別的なマイクロアグレッションを体験をすることは、圧倒的に少なかったはずだ。


それでも、海外で「マイノリティ」として生きること、それを20代で体験できた私は幸運だと思っている。


不思議と、後悔はひとつもない。家族や友人からから遠く離れた、地球の裏側に来てしまったことも。給料の半分を毎月家賃として払って、将来マイホームを持つなんて考えられない現状を生きていることも。未だに言いたいことが同僚に一発で伝わらないことが多くて、落ち込む日々も。自分が「この国生まれの白人ではない」というだけでたくさんの不利や理不尽を体験する。それでも、ここでの生活は満ち足りていて、毎日が新鮮。不便なことがあっても、まだここにい続けたいと思う。それは、周りの人たちが優しいからなのかもしれない。


バンクーバーに住む人たちの多くは、仕事以外の家族や友人と過ごす時間を大切にして生きている。だからこそ、道で困っている人がいたら声をかける「心の余裕がある人」が東京よりも多いような気がしている。

この、作家の西加奈子さんが「くもをさがす」で書かれていた文章に、妙に納得した。

バンクーバーに数年いた私が感じたのは、日本人には情があり、カナダ人には愛がある、ということだった。…情は必ずしも良き心や美しい精神からきているとは限らない。…もしかしたら自分の方が困った状況にあるのかもしれない。自分の居場所を譲るのは、本当は死活問題で、でも、そこにいる困った人を、どうしても、どうしても放っておけないのだ…。自分の手も傷だらけ、血だらけ、泥だらけだというのに。日本人の手は、情でしっとりと濡れている。

西加奈子さん著「くもをさがす」河出書房新社(p208-210より抜粋)

西さんの理由付けとは少しだけ異なるが、カナダの場合は「自身と他人との境界線(バウンダリー)」がしっかり引けている人が多いような気がする。ここで書かれているような「自分の居場所まで譲る」ようなことはしない。相手が困っていても、大人である相手の中の「自分自身でそこから這い上がって解決する力」を信じている。だからこそ、自分に余力がある時だけ、自分に無理なくできる形でだけ、周りの人を助ける。だから日本でよく見るような「お互い大変な時ですものね」という情けから人を助けて、その後で迷惑をかけられた、相手が厚かましかった、などと腹立たしく思うようなパッシブアグレッシブな様子をあまり見かけない。自分にできることをサッとやっただけ。感謝されたら嬉しいけど、それがなくても気を害したりしない、というサラッとした感じがある。

私も彼らを見習って、自分にできることは、当たり前のようにやるようにしている。それはバスで老人に席を譲ってみるといった些細なこと。朝起きたらまず歯を磨くとか、そういう習慣と同じで、いつか身に付くこと。

ごく小さなことでいい。自分が疲弊している時はやらなくていいし、無理に自分が不快に感じるレベルまで人を助けようとしなくていい。ただ、周りに「心を配れる余裕のある人」でありたい。そういうのが世界中で、もっと当たり前になったらいい。それが私の小さな願い。



混んできた電車の中で、もうじき29歳になる自分の顔を窓越しに眺める。19歳で何も知らずに日本を出た昔の私の面影をそこに見る。電車が地上に出た。夕暮れの中で、大通り沿いに並んだ街灯が、キラキラと遠くまで輝いていた。


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