ワタシと私で。
”ワタシって誰なんだろう、、”
”〇 〇〇(ワタシの名前)って誰なんだろう、、”
布団の中に入ったワタシは、時々この謎と出会う。
”私はいつから○ ○○(ワタシの名前)になったんだっけ?”
まるで別の私がいるかのようなそんな衝動に駆られる。
きっと今の”ワタシ”は、この地球という惑星で生きるゲームの中の登場人物で、本当の私は別にいる。
死んだ時がゲームオーバーで、死ぬのはもちろん怖いけれど死んでもただゲームが終わるだけで、
”おかえり”って笑顔で迎えてくれる家族も別の場所にちゃんといて、そこはとても安心出来る場所で、
でも、知らぬ間にまたこうやって知らない世界へ落っこちる。
そういう日常を本当の私は生きているのではないか。
(多分、ただの私の妄想だけれど、どうしてもそう思ってしまう時がある。)
でもそう考えると、私はどこかに落っこちる度に十人十色の"ワタシ"と出会えていて、十人十色の生き方をたくさん体験しているってことだ。
そう考えたら何だか少しだけ私のことが羨ましくなった。
でも、”もう一度あの"ワタシ"の人生をやりたい!”とかいうそういうワガママは絶対叶わない。
だから十人十色の”ワタシ”と出会えることは本当に奇跡みたいなことで、一期一会なんだな、とそんなことも思った。
十人十色で一期一会。
”一期一会だからやっぱりゲームオーバーするまでは、
この大切な”ワタシ”を楽しく全力で生き切らせてあげたい。
この愛しい”ワタシ”のロマンを叶えさせてあげたい。”
そんな熱い思いも”ワタシ”の内側から聞こえて来て、
”ワタシ”は何だか心強くなったようで嬉しかった。
きっと誰しもが別の私と生きていて、
もう1人の私に慰めてもらったり、奮い立たせてもらったり、
そうやって支えてもらうことが出来るはずで、
だから”ワタシ”は決して1人になることはなくて、
”ワタシ”1人で傷つく必要もなくって、
”ワタシ”と私で一緒に前へ進んでいくことが出来て、
”ワタシ”と私で一緒に”ワタシ”を愛していくことが出来る。
そう”ワタシ”は信じることにする。