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【短編小説】習作・夢の話・炎天下  もりたからす

夏のことだ。母方の祖父がパイプをくわえて焦れていた。初めて見るそのパイプがブライヤー製だと、なぜか私にははっきりと分かるが、それが喫煙具であることには思い至らない。始終なにか固いものを噛んでいないと収まらないのなら大人というのは不自由だ、と考えていた。

祖父は車を出す準備をとうに済ませていた。それなのに、祖母と母とが姿を見せない。駐車場に待つ祖父は、いつもの麦わら帽一つで炎天をやり過ごし、しきりに煙をはいていた。甘い香りが届いても、私はまだ、それが煙草と気付かない。

私は走って家に戻った。祖母と母とを呼びながら
しかし私の声は、二人の怒鳴り声に負け、夏のどこかへ消えてしまう。

二人は不意にこの家庭に持ち上がった許しがたい出来事ついて言い争っていた。平素は温厚な祖母が大声を出すほど深刻なその事件の、唯一の容疑者が母、ということらしい。居間の隅に落ちていた小さい茶色のなにかを、祖母が拾った。

「ほうら、トカゲの尻尾まであるじゃないか。やっぱりあんたの仕業でしょう」

「それは爬虫類の切れ端じゃなくて焼きそばでしょ。ちゃんと見てみなさいよ」

見たこともない剣幕で言い返す母は、この暑さだというのに着古した赤いジャンパーを羽織っている。

私の目にも、それはソース焼きそばのちぎれた一本に見えた。しかし、先ほど終えた昼食は冷奴とエビクリームコロッケだった。もしそれが本当にトカゲの尻尾だった時、母はどんな罪を犯したことになるのだろう。

諍いは止まない。玄関を出ると、煙の香りが変わっていた。もうそれは、甘くない。私は予定を全てうっちゃって、すぐそこの公園に駆けて行きたいと思ったが、それを誰に伝えるべきか、判断が付かなかった。



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