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ヒロインこわい  叶

「キャプテン!練習中の水は飲まないこと、決めたのはキャプテンなんですよ!!」

このセリフにピンときた方はいるだろうか。
今なお人気を誇るあだち充先生の『タッチ』のヒロイン浅倉南のセリフである。

このセリフのこわさは二つある。

一つ目は上級生のキャプテンに対し真正面から注意している点。
中高部活、特に運動部の上下関係とは理不尽と言いきって差し支えないくらい厳しい。
わたし自身も中高運動部出身なのだが、なかなかに厳しかった。
中学生になり知ったルールに『廊下で上級生が視界に入ったら全力で挨拶する』がある。
当時はそういうものだと受け入れ、
愚直にそのルールに従っていたし、
自分が上級生になった際は
「廊下で見かけた後輩から挨拶されなかった!」
なんて憤慨していたこともある。

これは当たり前のことなので改めて言う必要もないかと思うが、
自分が相手を視界に捉えているからといって、
必ずしも相手が自分を認識できているわけではない。
しかし、そんなことも理解できないくらい当時のわたしは愚かで嫌なタイプの上級生だったのである。

ちなみにわたしの一学年下の後輩達は、
わたし達三年生の最後の中体連直前に学校で飲酒し連帯責任で一週間の部活動停止をもたらした実績があるので、
まあまあ叱っておいても良いタイプではあった。

話は逸れたが要するに下級生が上級生に物申す、
というのはなかなかに勇気がいるということだ。
それなのに浅倉南はそれを簡単に言ってのける。


二つ目は当然だが運動中の水分補給を制止している点。
とんでもないことを言っているが、
これは浅倉南は悪くないとわたしは考えている。
『タッチ』が描かれたのがそういう時代だっただけである。
きっと別の時代設定だったならば「お写真なんて撮ってはなりません!魂を抜かれます!!」と言っていたはずだ。
時代や文化が異なれば『当たり前』と『そんなわけない』は容易に入れ替わる。


先程のセリフ一つで浅倉南のこわさは十分伝えられると思うが、
彼女のこわさはこれだけに留まらない。
幼馴染に「甲子園に連れて行って」などと頼むのである。
彼女の夢を叶えるために上杉和也は小さな頃から努力に努力を重ね、
着実に野球の実力を伸ばしていった。

わたしには野球の経験はないし、
バットやグローブも触ったことがあったかどうか覚えていない。
だけれども想像はできる。
甲子園に行くって、破茶滅茶に大変だ。
まだ身体もしっかりできあがっていない高校球児が、
毎日のように掌に血豆を作りその日の内に潰すほど鍛錬を重ねたところで行けるものではない。

そんなとんでもないある種の肉体的重労働を幼馴染に課しているのだ。悪意なく、当然のように。

浅倉南のこわさはさらに加速する。
自分のためにひたむきに野球に打ち込んでいる上杉和也ではなく、
その双子の兄である上杉達也に惚れているのだ。
しかもずっと昔から。

上杉達也の良さはわたしだってとてもわかる。
学生の時分『タッちゃん派orカッちゃん派』を女子同士でキャッキャしたときわたしは即答でタッちゃん派を主張した。
怠惰で自分勝手に見えて其の実誰よりも優しい、しかも生まれながらの天才肌。そんなの全員すきでしょ。
そしてわたしの記憶が正しければ、
この話題でカッちゃん派を主張した女子は全員結婚した。

また話が逸れたが、
上杉和也が血豆を潰しながら野球をしている間も浅倉南は上杉達也に恋い焦がれているのである。
こんな惨たらしさを許していいだろうか。


さてさて上杉達也がすきだと言い張っている浅倉南だが、
もし作中で上杉和也が生存ルートを辿っていた場合、
上杉達也のだらしなさを受け入れそれでも愛し続けただろうか。
きっと大人になった上杉達也は毎日のようにパチンコに行くような成長の仕方をするだろう。

わたしの予想では上杉和也が順当にソフトバンクへ入団した頃しれっと上杉和也と婚約すると思う。
なんてこわいヒロインだ。
なお、このイメージはケンドーコバヤシさんが語った『浅倉南論』に大いに影響を受けている。


浅倉南の一番のこわさはここからだ。
上杉達也からも上杉和也からも好意を向けられている。
天才も秀才も自分のことがすきなのである。
なんてこわいのだろう。


浅倉南に限らず、
ほぼ全ての作品のヒロインはこの種のこわさを持っている。
自分の意中の異性やその他ハイスペックイケメン達がみんな自分のことを好いているのだ。
そして読者にも多くの場合愛されている。

そんな中わたしは情けないことに、
みんながすきなヒロインがこわくて、
考えただけで心臓が震え出してしまう。
わたしがヒロインになんかなってしまった暁には、きっと死んでしまうと思う。
ヒロインの話をしていたら本当に具合が悪くなってきたので今日はもう横になろう。
あぁ、ヒロインこわい。


それではまた。





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