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岩波文庫と世界で二番目に可愛いミクについて  もりたからす

新年を契機に、せっせと自宅各部屋の片付けをしている。当初、暇を見つけて少しずつ、本の整理なぞから始めようと思っていた。しかし考えてみると私の日常はほとんどが暇によって構成されている。それは空気における窒素の割合におおよそ等しい。それで結局、ほとんど毎日あれこれと作業をするはめとなり、1月下旬現在、状況はかなり大規模な模様替えへと変貌しつつある。

中心となる課題はやはり書籍の扱いである。仕事部屋となる和室には辞書、洋書、参考書、図鑑、雑誌等、作業時の参考資料となり得るものを並べた。残りの一般書籍をどうするかひとしきり悩んだ挙句、大規模書店の例にならい「出版社別→作家別五十音順」で区分することとした。

整理していて気付いたが、我が家には文庫本がとにかく多い。ハードカバーの単行本は学生時代に購入した専門書が中心で、レパートリーとしては貧弱である。何となく「備え付けの立派な本棚にずらり並んだハードカバー」が読書家の証だと思っているのでちょっぴり悔しい。これは私の短くも儚い読書歴にあってもしばしば経験した「せっかく単行本で買った大好きな作品、数年後の文庫化に伴って増補改訂完全版となり、結局そっちも買うことになる問題」が主な原因と考えられる。携行のしやすさも手伝って、やはり私は文庫本が好き。

これも書店の例にならい、岩波文庫だけは完全に別枠で整理することに決めていた。そのため我が家で2番目に大きな本棚を引っ張り出し、そこに帯の色ごと、著者別、番号順に並べたのがこちらの画像。

奥行きのある本棚なので前後に並べて、岩波文庫はざっと200冊あった。意外とあっさり収納できてしまった。ついでに岩波現代文庫や、欲しいところだけつまみ食いして集めている漱石全集にロールズやらアーレントなどを並べてもまだ余裕がある。

ジャンル別に見ると、最も多いのが緑帯の現代日本文学で、赤帯の海外文学がこれに次ぐ。ある時期から、語学の勉強がてら海外文学はなるべく洋書で読もうと思い立ったので赤帯はここ数年あまり増えていない。
この意味不明な決意のおかげで我が家にはPenguin classicsの「WAR AND PEACE/LEO TOLSTOY」などという1400ページの分厚い英訳本が存在することとなり、その表紙の、誰だかさっぱりわからない美人がいつもこちらを睨むから、私はますます海外文学から遠ざかるのである。

ところで絶対にあったはずの白帯、ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』がどこにも見当たらない。私は高校時代、政治・経済選択だったのでこの書名は2億回くらい筆記しているし、当時どんなものかと背伸びして上下巻を一度に購入した記憶も確かにある。現役で大阪大学に進学した知人に「お前には絶対に読めない」と馬鹿にされたこともはっきり覚えているし、本当に彼の言うとおりだったことも歴史が証明している。
一体全体、ケインズはどこへ行ってしまったのか。深刻な出版不況が社会問題となっている昨今、書籍の再購入という有効需要を創出するため、自らその姿を消滅させたとしか考えられない。

本棚の空白があまりに寂しいので、世界で2番目に可愛いミク(匂わせ)こと『五等分の花嫁』の中野三玖を置いたところ案外しっくりきた。これはかつて池袋のゲームセンターで入手したもの。滅多にやらないクレーンゲームであっさりゲットできてしまい、私にとって人生初のフィギュアとなった。
私は常々、自分のことを「高潔な人格を有する知識階級」だと定義してきたが、好きなキャラクターのフィギュアを開封した際、真っ先にしたことといえば「一応、スカートの中がどういうデザインになっているか覗き込んで確認する」であった。弁明の余地のない破廉恥な行為であり、軽蔑されても仕方がない。なお、このフィギュアには紙片が添えてあり、そこには一言「舐めないでください」と記載されていた。世の中には役に立たない説明書、注意書きの類が実に多いが、これなどは例外的に有用な文面であるといえる。危ないところだった。しかし一体、なぜバレたのだろう。



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