
大切な絵本がない もりたからす
あなたには大切な絵本があるだろうか。
幼い頃に愛読した、特別な一冊が。
大人になり、書店で再会したその本を懐かしく手に取る時間は、どれほど豊かで幸福なものだろう。
あるいはその本は、実家の段ボール箱にまだ眠っていて、かつてあなたの親がそうしたように、あなたが子供に読み聞かせる時を待っているかもしれない。
ところがどっこい私には、そんな大切な絵本がない。
どれほど考えても、まるで絵本にまつわる思い出が浮かんでこないのだ。
私は土砂降りの中を書店まで歩き、児童書コーナーに立ち、目を凝らした。
次いで実家の段ボールを片っ端から開け、中身を調べ尽くした。
しかしどこにも、私の大切な絵本はない。
親に確認したところ、
「人並みに読み聞かせなどしたはずではあるが、そんな昔のことは記憶にない。仮に、その件についてこちらに何か落ち度があったとしても、全ては秘書ならびに会計担当者の責任であり、私の承知するところではない」とけんもほろろであった。
幼児が絵本を通じて得るものは、単なる読書体験にとどまらない。読み聞かせは愛情を育み、物語からは情操を学ぶことができる。
それらを経ずに来た者の将来は暗い。
友達は少なく、恋人などできるはずもない。
親知らずは全て横向きに生え、外反母趾も悪化する。
庭に植えた山椒の葉はアゲハチョウの幼虫に食い尽くされ、図書館で借りる本には決まって変な書き込みがしてある。
実に困ったことだ。
加えて私は幼少期、左利きを矯正された経緯がある。
これに伴い、性格は偏屈で神経質となり、体毛は濃くなる一方。右足小指の爪はちょっとしたことですぐ剥がれるし、納豆が食べられない。祝日が覚えられないことに加え、耳たぶにホクロがある。
この先どうやって過ごしたものか、見当も付かない有様である。
やはり私は幼少期、せめてウォーリーくらい探しておくべきだったのだ。左手で。
画像は岡山県を旅した際、倉敷で撮影したケンホロウご夫妻。「けん」も「ほろろ」もキジの鳴き声なんですって。
