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電子辞書の時代は終わったのか  もりたからす

CASIOが電子辞書の新モデル開発を中止するという。

スマホの普及や少子化による需要減が原因とやら。教育現場で生徒一人に一台ずつタブレットが配布される時代だから、そりゃあそうだろうな、という気もする。
現行モデルの生産、販売は継続するというから今すぐ電子辞書が世間から消えるというわけでもないようだが、それにしたって大ニュースだ。

今回の正式発表を待つまでもなく、私の観測範囲では既に電子辞書の市場は大幅に縮小しつつある。文具や雑貨も扱う地元の大型書店に長いこと設置されていた「学生向け電子辞書コーナー」が撤廃されて数年が経つし、家電量販店に並ぶ電子辞書レパートリーも年々少なくなっている。

電子辞書はその形態や動力からして明らかに「家電」に分類されて然るべき製品だが、家電量販店ではその扱いに長年苦慮していると見えて、売り場の位置がいまひとつ定まらない。一番奥から数えて3列目くらいの薄暗い棚で、テプラやポメラと一緒になって「なんとなくキーボードが付いている廉価デバイスコーナー」を構成していることもあれば、双眼鏡と並んで「うちの店では一応こんなものも扱っていますコーナー」の一角を占めている場合もある。電子メモパッド、自動翻訳機と合わせ「スマホの機能を独立させたっぽい機器コーナー」を保証されている近所の家電量販店など、待遇の良い方だろう。

このような状況を長年憂いてきた私はもちろん、電子辞書のヘビーユーザーだ。現在愛用している機種はCASIO「EX-word XD-SR20000」なるもので、これは購入当時、量販店で入手可能なシリーズの最上位機種だったと記憶している。学生用電子辞書にありがちな学習機能はいらないから社会人用で、しかし古語辞典など文系各教科にまつわる辞書は欲しい、という観点で候補に残ったのがこの機種だった。それなりに高額だったので、欲しかった万年筆を一本諦めた気もする。

世間ではスマホやタブレットの普及に伴い、電子辞書を「より利便性の低い製品」と見る向きがあるが、どっこい私はそもそもが自宅では紙の辞書ばかり引いている旧時代人だから、いまだに電子辞書は効率化の極致、スタイリッシュで賢くて可愛い最高の電子機器だ、という認識を持っている。(使用する形容詞がほぼ金村美玖に対するそれと同一であることからも私の電子辞書愛が並大抵のものでないと分かる)

使用するのはもっぱら塾での個別指導時。
科目を問わず、用語や知識の解説が必要な場面では、私の言葉でざっくり説明をした後、決まって電子辞書の検索結果を生徒に提示するようにしている。私としては、定義の確認を習慣づけること、ある程度信頼できる情報源から知識を習得していくことを身をもって示しているつもり。私の方でちょっと自信のない英単語なぞもばんばん調べる。「講師を信じず、辞書を信じよ」が我が個別指導における重要な教義である。最近の辞書はタッチすると喋ったりもしてくれるので、英語の発音などは丸投げしている。

電子辞書市場がこのまま縮小の一途を辿ればどうなるか。最低限の辞典を揃えている教室でさえ稀なのだから、私としては現在の指導水準を維持するためにはどうしても英英、英和、和英、古語の各種辞典をリュックに忍ばせて出勤せねばならない。
学生時代には私もスマホの辞書アプリを駆使していたものだが、あれはやはり「スマホいじってる暇があったら勉強しろ」でおなじみの学習塾という場にはそぐわない上、生徒にスマホの画面を提示する場合、待ち受け及び保存画像の大半が坂道アイドルである事実が何らかの法に抵触する恐れなきにしもあらずである。やはりここは独立したデバイス、電子辞書で安心安全な知識を若者にお届けしたい。

どうにか電子辞書の売り上げが回復し、新モデルがばんばん発表されるような妙案はないものか、とあれこれ考えながらここまで長々と記事を書いてきたが、ここで私は衝撃の事実に気付いてしまった。

「電子辞書」という名称は間違っているのだ。

「電子◯◯」という名称の製品を他に思い浮かべてほしい。電子オルガン、電子ピアノ、電子レンジなどなど。エレキギターもそれに準ずる名称とみなして良いだろう。これらはいずれも従来あった「◯◯」部分の形態を概ねそのまま踏襲した上で、電気的な工夫により利便性の向上や新機能の付加を打ち出した製品である。

ところが電子辞書はどう見ても従来あった「辞書」の原型をとどめていない。はっきりノートパソコン型デバイスである。その上、電子辞書のセールスポイントは「一冊の辞書が電子化しました」ではないから、ピアノの電子化、ギターのエレキ化とは明確に方向性が異なる。

私たちは長きにわたって誤解していたらしい。本来あるべき「電子辞書」とはずばり、広辞苑そのままの形をし、背表紙にプラグ差し込み穴が設けてあり、付属のコードでアンプに繋ぐとでっかい音で四字熟語とかを喋ってくれるデバイスだったのだ。そりゃあ市場だって縮小するさ。

それでは私たちが愛用するあの電子辞書は、正しくはどのような名称で呼ばれるべきものなのか。セールスポイントはもちろん「たくさんの辞書が入っている」の部分であるから、類似した例を挙げていこう。

漫画がいっぱい揃っていれば「まんだらけ」
食べ物がずらり並んでいれば「食べ放題」
刺されて死にそうなら「血みどろ」

つまり電子辞書は、収録冊数を売りにする以上「辞書◯◯」の方向で名称を考案しなければならないことになる。
「辞書まみれ」とか「辞書大爆発」とか「辞書無限」とか、とにかく「辞書の多さ」に焦点を当てる必要がある。
どうしても電子化の要素も取り入れたいのならば、正確に「電子・辞書コーナー」あるいは「電子・辞書棚」とすれば、その書店的雑多性が明確になってよろしい。

加えて、「まんだらけ」「食べ放題」「血みどろ」に共通する要素として専門店の存在が挙げられる。まんだらけは中野、食べ放題はそこら中にあるし、血みどろは当然、病院の専売特許であるから、「辞書まみれ(仮)」ももはや家電量販店の片隅の地位を捨て、都内の一等地、例えば銀座に専門店を構えるべきだ。モンブランもライカもみなそうしている。筆記具もカメラも、いまやスマホで代替が可能なのに、いずれもブランド化し生き残りに成功しているのだから、電子辞書にそれができないはずもない。

「確かにスマホは便利だけど、本当にこだわるならやっぱり専門店で辞書まみれ買わなきゃ。一回使うと全然違うから。温かみがあるし、スマホよりめっちゃ綺麗。所有欲をくすぐるんだよねー。その一手間が愛おしいっていうか」

よくわからないけどTikTokとかInstagramのインフルエンサーにそう言わせるような業態を目指せば良いんじゃないっすかね。(突然全てが面倒くさくなってしまった人の終わり方)


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