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「差別」とは。ブラジルで奴隷制度廃止から何が変わったか考える。

(2019年11月20日)
ヘイトスピーチ(差別扇動)、ジェンダーといったキーワードが、日本発信のニュースに目につくようになった。ブラジル在住中のため、ネットを介したニュースなどでしか触れる事ができないが、人種やジェンダーについての論議は、どこでもいつでも、なにか居心地悪いものだという印象が拭えない。

ブラジル国内でも、経済力も生活水準も低めで、有色人種が多い北東部。そこにあるバイーア州首都サルバドルの、主に低所得者が住む地域に住んで4年と数ヶ月。当然のごとく、貧困街の住民は9割以上が黒人や肌が黒めの混血で、市内でも裕福層が住む地域は白人や肌が白めの住人が多い、そんな都市。ここに住みながら、人種とジェンダー、社会的地位について考えない事は、無邪気を装い見て見ぬふりをする、ひいては有害行為だと感じるようになった。

11月20日は、ブラジルではいわゆる英語で言うBlack Awareness Day、黒人の置かれている立場について意識を向ける日であった。キロンボという、奴隷とされた人たちが強制労働より逃れ集まり身を潜めていたコミュニティのひとつ、Quilombo dos Palmaresのリーダーであったズンビが、ポルトガル人との紛争によって殺された命日にちなんでいる。1960年代より黒人運動からはじまった記念日だが、2011年になってやっと法的に施行されたというから、国が記念日と認めたのがかなり最近だと知り驚いた。

黒人意識の日よりも、白人意識の日を作れという運動が、数年前黒人たちによって起案されているのを目にした。それは、植民地時代コンゴで大虐殺を行ったベルギー王レオポルド2世の命日12月17日を白人意識の日にしろと言う事だった。レオポルド2世統治下の1885 年から1908年の間推定で10から15万人にも及ぶコンゴ人が殺戮されたという。また処罰として手足を切断された人々もだがこの歴史的事実そういった隠されがちな不都合な真実を表舞台に出して行き、侵略者、殺人者としての白人の歴史的役割に意識を向かわせろという運動だという。

Why Isn’t Belgium’s King Leopold II As Reviled As Hitler Or Stalin?https://allthatsinteresting.com/king-leopold-ii-congo

The hidden holocaust
https://www.theguardian.com/theguardian/1999/may/13/features11.g22

ブラジルに来た理由は、武術、舞踏、音楽、儀式などがごちゃ混ぜになった感がある独特なアフロブラジリアン文化のひとつ、カポエイラの道を進んだためである。貯金も食いつぶし、親に借金までした挙げ句、50代も手前にになった今、やっとブラジル政府から奨学金が頂ける事となり、ここバイーア連邦大学の博士課程に籍をおけるようになった。

大学内でも、権力の構図はあからさまだ。教授レベルは白人男性が多く、学生は有色人種も女子も居るが多少白人男子が多め。構内を一日中掃除する業者にいたっては、ほぼ全て有色人種。バイーア連邦大学はそれでも、ブラジル国内では有色人種が多めの大学だという。

以下、サルバドルのファヴェーラ出身のLGBTQの黒人女性で最近バイーア連邦大学の博士課程を修了したとんでもない努力家の友人、イネウジによる記述である。

ブラジルのアイデンディティ、創造性、芸術的身体表現、ジンガ、ドリブルとまやかし、これらは一人一人の身体に組み込まれている。黒人は(政府の援助無しに)自分たちを形成する形で。白人はその優位な立場を利用し、のし上がるために、他人を踏みつけ、暴力をふるいながら、この競争文化を形成する形で。[A identidade brasileira, de criatividade, expressões artísticas, corporais, de ginga, drible e finta, esta no corpo de cada um, e que a forma de os negros se auto-projetar se (sem ajuda do governo) e os brancos na forma de vantagem, propicia essa cultura de disputas para chegar a algum lugar, derrubando, violentando os outros.]

白人ブラジリアンのドリブルはその優位な立場において、黒人ブラジリアンのそれは、消去される立場において。しかしながら、このドリブラーとしてのアイデンティティはひとつの事業なのである。白・黒人が同じ場所にいる時、その意図は巧妙に隠される。大学、博士課程、権威ある職場において。[O drible do branco brasileiro está na vantagem / privilégio, e o drible do negro está na rasura. Porém, essa identidade dribladora e de negaceio, faz com q neguem suas intenções quando estão todos no mesmo lugar. No caso da universidade/ no doutorado/ no trabalho de poder, etc.]

つまり、有色人種について語るとき、良心や無邪気さなど存在しないと言える。有色人種という事実は、無邪気さを否定し、また良心の代名詞でも無い。ブラジル人の精神的意識は地に落ちている。他の国々とは違い、普遍化され、組織化されたブラジルという国の不平等性を変革させるには、まず自分自身を変革させねばならない。[Digo: não tem bom, nem inocente pela cor. A raça cor não inocenta, nem é sinônimo de bondade. A consciência espiritual do nosso povo está lá embaixo. Para transformar a desigualdade aui//que, diferente de muitos lugares é uma desigualdade naturalizada/estrutural, tem q se transformar primeiro.]

我々すべてが。すべての人種が。[Todo mundo. De todas as cores.]

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