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2021年4月の紫野あすか
紫野あすか三鷹市議の活動を紹介するマガジンです。平和を守る「憲法9条」が大好きなあすかさんのことを発信していきます。
「9がいいね!」とあすかさんが言ったから 毎月9日はあすかマガジン
紫野あすか三鷹市議を応援してくださる皆様こんにちは!
4月に入り、大阪では変異株による感染拡大、いよいよ医療現場では逼迫状態、医療崩壊が起き始めました。
東京でもじわじわと感染者数が増え続けても、なんの科学的根拠もなく3月末に緊急事態宣言を解除したが為に、再度の宣言は出せない始末です。
小池都知事の「東京には来ないで下さい」発言で、まん延防止等重点措置は出されましたが、三鷹市は対象地域外です。
あすかさんが街角トークを行うJR三鷹駅は、北口が武蔵野市、南口は三鷹市と自治体が異なるため、なぜ対象地域から外れたのかわかりません。
お願いベースばかりで行政がすべき対策が為されないため、効果もありません。
月末にやっと、3度目の緊急事態宣言が出ましたが、ついには再び感染者数が1000人を越えました。
多くの国民がオリンピックは中止にと言い出しました。
【↑あすかさん作成のバナー。うまいことできてますね。】
そんな中、何件もの生活相談を受け、高齢者の方々の住まいを探したり、街頭宣伝のためのプラカードを作成したりと大活躍のあすかさんでしたが、
今月は4日に福島県双葉町を訪れたことに焦点をしぼり、特集号にしたいと思います。
特集 それでも原発続けますか?
近年地球温暖化の影響が、猛暑や豪雨による水害、農作物への影響など人間の営みを脅かすほどに増え続けています。その原因の一つだと言われている二酸化炭素を減らすため、持続可能な社会にするための17の目標SDG'sなど掲げる動きが活発になっています。
そのうちの目標7には「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」とあります。
そうした中で、気候変動を問題視する若者たちが行動し始めていて、それは喜ばしいことなのですが、「原発は超クリーンなエネルギー」だという意見があると聞き及びます。
今回、あすかさんが双葉町で見てきたことを通して、「原発は持続可能なのか?」ということを問いたいと思います。
☆10年目の双葉町へ
あすかさんは、三鷹市議会議員になる以前は、先月号↓でも書きましたが、脱原発の抗議行動を国会前希望のエリアで主催していました。
そこで、脱原発の声を広げるために全国の多くの方々と繋がりました。
今回、福島県双葉町の帰還困難区域に行くという貴重な機会を頂けたのは、希望のエリアでのご縁がきっかけでした。
そのご縁から、帰還困難区域にお住まいだった鵜沼久江さんに、ご自宅や中間貯蔵施設がある帰還困難区域を案内して頂けることになりました。
その時の様子はあすかさんがレポートしていますのでこちらを是非お読みください。↓
3月に感染者数が増えるなかで、緊急事態宣言が解除されたのは、きっとオリンピック聖火リレーのためだったのだろうと推測できます。
その福島県双葉町の聖火リレーは、なんと駅前ロータリーを1周しただけだったのです。人の入る場所は、除染され線量も低くなっていますが、そこから少し外れれば、途端に空間線量は国の基準の0.23マイクロシーベルト(年間1ミリシーベルト)を超えてしまうのです。
この地図にもある6号線は東日本大震災・原子力災害伝承館へと続く道で「復興ロード」と名付けられています。この道の両側にポツンポツンと家はありますが人は住んでいません。住めるような空間線量ではないからです。道路が整っている印象だったので、そんな感想を言うと、人が住めない町になってから、復興のためと工事車両がたくさん通るようになり、道もきれいになったと町民だった人に教えてもらったと、同行された堀切さとみさん(ドキュメンタリー映画『原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録(56分)』の監督)に教えてもらいました。
【 ↑ 左上奥に見える白っぽい建物が聖火リレーが行われたJR双葉駅】
【 ↑ 沿道には人の住んでいない家がポツンとある】
復興?この風景のどこにあるの?住民がいないのに復興したと言えるの?
そんな思いがあすかさんはじめ参加者の心の中でどんどん強まっていきます。そして、その思いがピークに達したのは、鵜沼さんのお住まいだった家と牛舎を訪れた時だったと思います。
あすかさんのツィートまとめにも書いてありますが、原発から2.5キロにある鵜沼さんの家は地震では壊れませんでした。しかし、原発事故が起きて着の身着のまま避難して、二度と自分の家で暮らすことはできなくなりました。
原発事故前は、家から2メートルくらいは離れたところに自生していた竹もこの10年の間に家の中にまで生えていました。人が住めなくなり朽ち果てていく様を目の当たりにして、皆さん言葉を失います。
酪農を生業としていた鵜沼さんは50頭の牛を飼っていましたが、その牛を残して避難するしかありませんでした。
鵜沼さんは、住む家も、生業も、牛の命も原発事故によって奪われたのです。自分のふるさとを奪われたことを想像してみてください。
原発さえなかったら鵜沼さんは今もここに暮らしていた。
人々の毎日の暮らしを奪ったのは紛れもなく原発。
責任を取ろうともせず
なかったように見せかけて
原発政策をまだ続け
口先だけで招致した復興オリンピックとやらをやろうとしている。
何がアンダーコントロールだ。
ひっそりと何も語らないこの場所で線量計の音が響く。
ここにはもう住めない。
住んではいけない。
ふるさとはもう元には戻らないのだ。
【あすかさんのツィートより】
これは、憲法25条にある「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権が侵害されたことを意味します。
決してお金で解決できるような問題ではありません。
鵜沼さんの土地を汚染し、生存権を侵害する原子力がクリーンなエネルギーと言えるでしょうか。
SDGsの目標11「住み続けられるまちづくりを」とあります。
この目標に原発は見合っているのでしょうか?
☆ 汚染水流すな!
あすかさんが福島を訪れた直後、折しも政府は汚染水を2023年から海洋放出すると決定しました。あすかさんは、撮ってきた写真や動画を利用してすかさず海洋放出反対の声をあげました。
私たちは、2018年夏の公聴会が行われるまでは、汚染水とは、事故でメルトダウンした燃料デブリを冷却するために水がかけられて、高い濃度の放射性物質を含む汚染水がALPSやその他の浄化設備で処理され、どうしても取り除けない水素の放射性同位元素であるトリチウムだけが含まれるトリチウム水だと説明されていました。
しかし、実際は62種類の核種が8割も残っていることが判明したのです。
テレビや新聞のニュースでは、汚染水ではなく「処理水」という表現になっていますが、これはあきらかにごまかしているのではないでしょうか。
あすかさんは、そんなことを感じとって、「汚染水」という表現でバナーを作っています。
濃度を薄めるから大丈夫とまことしやかな嘘をいいますが、「ラーメンのスープ薄めたって全部飲めば塩分量は同じ」というのと同様、汚染水だって薄めることに何の意味もありません。
本当に「風評被害」ではなく「実害」なんです。
漁業を生業とする人たちは、もちろん反対しています。日本だけでなく諸外国の人たちも反対しています。しかし、現場の声をきちんと聞いたうえでのちゃんとした議論はされていません。
東京電力は「関係者の理解なしには海洋処分はしない」と約束させられていますが、政府はそしらぬふりをしています。
詳細を知りたい方はFoEJapanのサイトをご覧ください。↓
汚染水を海洋放出することは、環境汚染以外のなにものでもありません。
あすかさんは「海は地球に生きているみんなのもの」と言い、日本のみならず世界中に被害を拡大しようとする政府の姿勢に怒り抗議します。
陸の中間貯蔵施設のフレコンバックや瓦礫も放射性物質に汚染されていますが、ここは仮置き場であり、最終処分される場所は未だ決まっていません。行き場がないのです。
原子力エネルギーは、一度事故が起きれば、海も陸も汚染され、単なる環境問題ではなく、人の営みや健康に脅威で迫ってくるものです。
SDGsの目標の14「海の豊かさを守ろう」15「陸の豊かさも守ろう」とあります。海も陸もすべては繋がって循環しているのです。
ところで、処理水を海洋放出してもいいとする理由の一つに、原発を持つ各国だって原発の冷却水(トリチウム水)を海に流しているというものがあります。冷却水は7~10℃高くなった温排水となりますから、当然海水温を上昇させます。二酸化炭素が問題なのは海水温を上昇させることにあります。
日本海に熱帯魚が定着したなんていうニュースもありました。
汚染水の海洋放出を読者の皆さんはどう考えますか?
☆ 語り部になる
今回、このほか、帰還困難区域外にある東日本大震災・原子力災害伝承館や隣の浪江町にある「希望の牧場」にも足を運びました。
あすかさんが伝承館に行って感じたことは、帰還困難区域の現実が全く伝えられていないということでした。
【↑ 伝承館の建物があるここは、津波で流された所。除染もされ海風もあるので空間線量は東京並みに低い】
きれいすぎて、あすかさんが見てきた人の営みが破壊される重い気持ちになるような現実が伝わってくるものは何一つありませんでした。
伝承館の様子は東京新聞の記事にも書かれています。
4月に訪れた時は、さすがに撮影禁止ではなくなっていましたが、29人いる語り部の皆さんは、国や東電を批判しないことを求められ原稿も修正させられているそうです。
あすかさんは、原発事故の真実が後世にきちんと伝えられなくなったらどうなるのだろう。。。と危機感を覚えます。そして、真実をねじ曲げるものに抗わなくてはと、自分自身が語り部になることを決意しました。
早速、FacebookやTwitterで見てきたことを報告します。そして撮ってきた写真や資料を集めて、伝えやすいようにパワーポイントでまとめました。
しかし、コロナ禍で、なかなかたくさんの方を集めての語り部会は開けません。そこでオンラインで行うことにしました。
双葉町の現状を、簡潔に40分くらいにまとめ、参加者の方々と原発に対する思いを分かち合いました。
これからも、あすかさんは機会があればどんどん語り部会を開いていきたいそうです。
☆最後に
今回双葉町で見てきた原発事故による被災現場は、ほんの一部でしかありません。
環境問題や被災者の人権問題のほかにも、被爆労働者の人権問題など様々な問題があります。
あすかさんは、国会前希望のエリアや色々な原発反対抗議行動の場で、福島の方々と出会い、お話を伺ってきましたが、実際に見る双葉町の現実、そこに住んでいた人々の思いは様々で、一括りにして考えてはいけないのだということに、思い至ったそうです。
奇しくも、伝承館でほんの一時再会した希望のエリアの仲間で、今は南相馬市議の栗村文夫さんも同じようなことをお話し下さいました。
震災から10年の節目などとよく言われてますが、まだまだ根本的な問題は何も解決していません。
南相馬市ですらいまだに4000人以上の人が避難しています。
原発事故さえなければ、戻っていたはずの人達です。
人生を狂わされた人達です。
僕がUターンしてからも沢山のボランティアや被災地視察の団体が来ていましたが、多くの人が一つの答え、福島はこうだった、福島の人はこう思っている、というものを持ち帰りたがっていました。それでいつも言っていることがあります。
例えばその町に一万人の人が住んでいたのなら、一万通りの歴史があり人生があり、一万通りの苦しみがあり、それはまだ続いている、その一万人の人達のことを思って欲しいというこを。
都会と違い、先祖代々何百年もその土地に住んでいた人達が、原発事故のために全てを壊されてしまったということを。
福島県では、震災数年後に避難者、特に一人暮らしの高齢者の自殺が増えました。最近では南相馬市もそうですが、子どもの自殺、家族のいる高齢者の自殺が増えています。
この傾向は、震災、原発事故の影響があるようです。
表面には表れない精神面での影響はかなり大きなものが続いています。
原子力緊急事態宣言は10年経った今でも解除されていません。
そして、栗村さんのお話にあるように原発事故の影響は、被災者の精神に未だに影響があります。
それでも原発をクリーンなエネルギーと言いますか?
それでも原発を続けますか?
当事者として考え続けて下さい。