私と救世主と小さな魔女
0.13歳のあなたへ
両親が仲良く愛し合っている家庭に生まれ育つことは、私の夢でした。
それはかなわぬ夢でした。
両親の不仲というのは、自分の存在を根本から揺るがすものでもあります。
「私は生まれてきてよかったのかな。」という思いは、濃さを変えながら、ずっと心の奥底にありました。
長年自分の存在そのものを認めることができなかった。
そんな私が1人の人と出会って、変わっていく物語です。
10年後、13歳になった娘におくります。
あなたは愛し合っている両親のもとに生まれて、愛されて育っていることを伝えたいです。
自分が幸せな家庭を築けるなんて、夢にも思っていなかった。
だから、この文章を書けたということが、自分にとって何にも変えがたい贈り物になりました。
ここから長い昔話が始まります。
私と私の救世主のお話です。
よかったらお付き合いください。
1.はじまり
何ごとにもはじまりというものがあります。
私とあなたの父親(タカ)が出会った頃の話をします。
あなたの発生の、そもそもの起源となる話です。
私とタカは当時16歳。高校生でした。
タカはクールなイケメンで、女の先輩がわざわざ見に来て話しかけている姿をみたことがあります。
私はオシャレを意識し始めた頃で、自分をかわいく見せようと頑張るが、それが逆にダサイみたいな…いってしまえば、野暮ったい女の子でした。
隣のクラスのタカを意識しつつも、何もできないでいました。
あるとき私がタカのことをカッコイイと言っているのを聞いた友人が、「私、彼とメル友だから紹介してあげるよ!」と、紹介してくれました。
(メル友っていうのはね、当時ラインとかないから、Eメールというのを使って、1対1でやりとりするのが一般的な連絡方法だったの。10年後はどうなってるかわからないから、ラインも古いかもしれないけど…。)
こうして、私とタカは「メル友」になりました。
名前を登録するのも恥ずかしくて、「キラキラ星人」と登録していたので、キラキラ星人と頻繁にメールを交わすようになりました。
そしてある日、初めてデートに行きました。
男の子と2人で出かけるなんて、初めてでした。
映画を見て、ラーメンを食べました。
ラーメンってどうやってすすっていたか、わからなくなって、まごまごしながら一生懸命食べたのを覚えています。
楽しかったかどうかなんて、まっっったくわかりませんでした。
その後も何度かデートを重ねて、付き合うことになりました。
当時、私は兄と賭けをしていて、「先に彼氏・彼女ができた方が勝ち。負けたら1.000円払う」という内容でした。
私はタカに「このままじゃ賭けに負けちゃう〜。救世主になってくれん?」とメールでコクりました。
「いいよ🖐」と返ってきました。
16歳の秋でした。
2.「好き♥」と大大大大大大大嫌い
こんなふうにして、私はタカと付き合うことになりました。
タカに「私のこと好きなの?」と聞くと、「普通に好き」という答えが返ってきました。
「普通に」って何だ?!と思いました。
そういう私も、「好き」が何かって、わかりませんでした。
ただ、一緒にいると楽しい気がしました。
「好き」が何か、本当の意味では今もわかりません。
「好き」という言葉はありふれていて、みんなが使うものだけど、「好き」の感情は1人1人、そのときどきで違うと思うのです。
私は今、タカのことが「大事」だし、「尊敬」しているし、「感謝」の気持ちを持っています。
タカと付き合い始めて13年。付き合ううちに、1つ変わったことがあります。
それは自分のことを「好き」になりつつあることです。
自分のことが「大事」で、「尊敬」していて、「感謝」できるようになってきました。
(これからどういう経緯で自分のことを「好き」になってきたか、振り返ってみるね。
でもその前にそのときの状況を説明するから、少し長くなります。
テキトーにお付き合いくださいね。では、いくよ。)
タカに「好き♥♥♥♥」とハートマークがいっぱいのメールを送っていた16歳の私は、自分のことが大大大大大大大嫌いでした。
もう、嫌いすぎて殺したいくらい、激しく嫌悪していました。
なぜそんなにも嫌いだったか?
自分が何も「できない」と思っていたからです。
私は小学校のとき必死で勉強して、地元で1番の中高一貫の進学校に入りました。
「必死」と書いたけど、それは例えではなく、本当に「その学校に入らないと死ぬ」というくらいの気持ちで受験勉強をしました。
合格して、その学校の生徒になった途端、私は目標を見失いました。
熱量を保てないまま、勉強はどんどん進んでいく。
小学校のときクラスのトップだった子が集まるような学校だから、立ち止まっていると一瞬でおいてけぼりをくらいます。
私は落ちこぼれてしまいました。
部活も「できない」状態でした。
運動おんちな私がなぜかバスケ部に入ったため、他の人と比べて全然活躍できなかった。
勉強と部活、どちらも冴えない自分に心底嫌気がさしていました。
表面ではへらへら笑いながらも、内心は「もう死んで消え去りたい」と思っていました。
そんなとき、高校から入学してきたタカと出会ったのです。
3.Mr.メトロノーム
タカと付き合うことで、私はある部分の自信をつけました。
それは「女性としての魅力がある」というものでした。
思春期に彼氏がいる、それもカッコイイ、となると、まわりからうらやましがられるものです。
私はやっと発見した自分の価値にすがりつきました。
一心にタカのことを考えました。
メールのやりとりは楽しくて、脳内はいつもお花畑でした。
勉強もそっちのけでメールをしていたから、成績はさらに落ちました。
一方でタカの成績は落ちなかった。それどころか少し上がってさえいた。
「なんで?」と聞くと、
「メールとメールの間に数学を一問解いていたから。」とさらっと言われました。
どおりで返信が少し遅かったわけです。
タカもそれなりに脳内にお花畑が広がっていたと思いますが(いや、広がってなかったのかも…)、たんたんとやるべきことはやっていたのです。
ただただ衝撃でした。
リクエストしたら、数学的帰納法で「あすかのことが好きである」ということを証明してくれました。
こんな人はみたことがありませんでした。
タカはどんなときも一定で、自分のペースを守って目標に進んでいきます。
メトロノームみたいな人です。
その後、私とタカは東京の大学に進学して、一緒に暮らすようになりました。
タカは建築を専攻していて、課題をこなすのが非常に大変そうでした。
そんな彼を隣でみていて、何かできることはないか、と考えました。
そこで、マッサージのような手技で、体をケアするバイトを始めました。
手技を習ってきてはタカに施術していました。
ただ、隣にいる人を楽にしたい、という気持ちでやっていました。
将来自分が人に触れて治療する仕事に就くなんて、思ってもみなかったです。
ずいぶんと前置きが長くなっちゃったね。
いよいよ「好き」について書くよ。
4.「好き」はどこからくるのか?
タカのことは付き合ううちに、どんどん好きになっていきました。
今も、最高記録を更新中です。
タカはかっこいい。
どんなに身近な存在になっても、私の憧れの人です。
・1つ1つの決断を他人にゆだねることなく、自分で決めていく。
・計画をたて、毎日地道に取り組む。
・相手と自分が対等であることを大事にする。
私の目からみたタカは、そんな人です。
すぐ人に影響されたり、断るのが苦手だったり、3日坊主のスペシャリストの私とは真逆の才能があります。
タカが隣りにいてくれることで、私は安心していられました。
自分にないものを持っている相手がかっこよくみえて、「好き」だと思いました。
自分に対する思いも変わってきました。
大好きで尊敬しているタカに「好き」と言ってもらって、ゆっくりと、確実に、自己嫌悪の気持ちが減ってきました。
大大大大大大大嫌いの「大」の字が、1つずつ消えていきました。
そして、自分のことが「好き」まではいかないけれど、「うん、まあ、よし」くらいまでになったとき、大学3年の進路を決めるタイミングがやってきました。
このとき、初めて自分の体を大事にする、ということに取り組みました。
白湯を飲んだり、半身浴をしたりして、体を温めました。
それまで放っておいたけど、私は冷え症と低血圧で、何をするにも気力が足りない状態でした。
体に目を向けたことで、体調と精神面が安定してきました。
そして「鍼灸師になる!」と、決断しました。
隣にいるタカを楽にしたい、と始めたボディケアのバイトの経験から、人を癒やす仕事がしたい!という思いが出てきたのです。
この決断をしたときが、生まれて初めて自分を許した瞬間でした。
今まで偏差値など、人から評価されるものを追い求めていたけど、初めて自分がやりたい!と思うことを見つけ、選択しました。
怖かった。まったく未知の世界。この選択が正しいという保証はどこにもなかった。
タカでさえ「本当に鍼灸師になるの?」と、びっくりしていた。
自分の将来を選んだときから、人生は変わっていきました。
何を学んでもおもしろい。
初めてふれる東洋思想は、私を満たしてくれました。
私は薬剤師の母に育てられたから、西洋医学にどっぷりの子供時代を送ってきました。
その恩恵にあずかってきたから、西洋医学に感謝はしてる。
でも、なんだか足りない…と思っていた部分を、東洋医学の思想が補ってくれました。
夢中で学ぶうちに、自分がいきいきとして輝いていることがわかりました。
人から求められることも増えました。
私は自分のことを少しずつ「好き」になっていきました。
自分を好きになると、人からも好きになってもらえる、という経験を味わいました。
5.生まれながらの「好き」
月日を重ね、タカと付き合って10年が経ったとき、あなたが生まれました。
そしてこの文章を書いている今、あなたは3歳。
3歳のあなたは自信まんまんです。
自分はかわいくて、両親に愛されているすばらしい存在だと、何の疑いもなく思っているようにみえます。
私はまぶしいものを見るような気持ちで、あなたを見つめています。
私がこんなに屈折した後に手に入れた、自分に対する「好き」を、あなたは生まれながらにして持っているようにみえる。
もしかしたらあなただけじゃなく、誰もがもともと持っていたものかもしれない。
大人になる過程で失う人が多いのかもしれない。
どうして失っちゃうんだろうね。
これ以上ないくらい、大事なものなのに。
どうして大事な領域を自分で守れないんだろう。
「自分はすばらしい」とみんなが思って生きることができたらいいのに。
そんなことを思ってしまいます。
13歳のあなたは、自分のことが好きですか?
きっと好きなんじゃないかな。
それとも大大大大大大大嫌いですか?
どっちでもいいです。
あなたは私が人生をかけて愛した男の人との間に生まれた、大事な命です。
それだけは知っておいてください。
6.小さな魔女さんへ
3歳のあなたは「『魔女の宅急便』のキキになる!」と言いながら、はりきってホウキにまたがっています。
保育園にホウキに乗って行ったこともあるよ。タカがホウキごとだっこしてね。覚えてるかな?
キキは13歳になったら1人立ちするから、あなたも「13歳になったら家を出る」と言っています。
実際に1人立ちするかどうかは置いておいて、13歳にもなれば、精神的にかなり自立した面があると思います。
大人になりつつある部分と、まだ子供でいたい部分があなたの中に入りまじって存在しているんじゃないかな。
今まで当たり前に、無邪気に大人と話していたのに、急に「敬語を使わなきゃ」と意識して、スムーズにしゃべれなくなったり…。
あなたはそんなことないかな?
私はありました。
13歳の私は何もかもがギクシャクしていて、決してキキのように堂々とはしていなかった。
13歳のあなたはどんなだろう。
キキのお母さんみたいに「よく使いこんだホウキ」は渡せないけど、よかったらこの情けない私の半生を書いた文章を受け取ってください。
この文章を持って、嵐にも驚かず飛んで行ってください。
いや、必要なかったらすぐに手放してもいいんですよ。
あなたは私と私の救世主が、幸せを願ってやまない人です。
きれいな目、もちもちの手、泣くとき真一文字になる唇、凛々しい眉毛、寝てるとき服のすきまから見えるおへそ…あなたのすべてがいとおしいです。
生まれてきてくれてありがとう。
あなたからたくさんのことを学ばせてもらっています。
今はあなたの体がとても近くにあります。
熱い、エネルギーのかたまりのようなあなたの体を、膝の上に乗せて過ごす時間がとても長いです。
きっと10年後はもっと遠くなっているんだろうな。
さびしいような、対等に深い話ができるようになることが楽しみなような…そんな気持ちです。
最後まで読んでくれてありがとう。
あなたはあなたの人生を生きてください。
愛しています。
あすか