原点回帰~なんのために小説を書くのか~
私は作家志望である。名前はまだない。
いや、勝手につけたペンネームはあるのだけれど。
私は作家志望である。
いつの日が自分の書いた文章が、物語が、出版されて書店に並ぶことを夢見ているものである。
公募にチャレンジするということ
今日の本題はここからだ。
私はこれまで「電撃大賞」という小説のコンテストを主戦場にしていた。
初めて小説のようなものを書きあげてから、なにか応募できるコンテストはないかと探している時にこの電撃大賞に出会った。
ちなみに、処女作は別の公募に応募して見事一次も通らず撃沈している。この作品は恥ずかしすぎて今でも読み直せないほどの出来だ。
その時は二作目を書き上げたところで、締め切りが近いからといった単純な理由で応募したのだ。(もう一つ、「面白ければなんでもあり」というコンセプトに惹かれたということもある)
後に、この「電撃大賞」というコンテストが日本で一番応募数のある権威ある賞だということを知り、なんと無知で無謀なことをしたのだと恥ずかしくなった覚えがある。
しかし、この電撃大賞でなんと三次選考まで残して頂いたのだ。
作家を目指し始めたワナビの皆さんは共感して頂けると思うのだが、一次選考を通過するまでは「自分の作品は果たして【小説】の形を成しているのだろうか」という疑問が常につきまとうことになる。
なので初応募にして一次選考通過の欄に自分の名前が載ったときに、初めて「あぁ、自分はちゃんと小説を書けていたんだ」という安堵と、震えるほどの感動を覚えたのだ。
そしてここから三年連続で電撃大賞にチャレンジしていくことになる。
オタクに優しくするとすぐ惚れるぞ
三次選考まで残ったことで「あぁ、自分にはこの電撃大賞が合っているんだ」という勝手な思いを持つようになった。
当然だ。
初めて優しくしてくれた相手に惚れてしまうのはオタク男の悲しい性(さが)だ。
そしてそれが勘違いであることも言わずもがな。
翌年、「これは銀賞くらいは取れるだろう」と余裕をぶっこいて応募した作品が見事一次落ちした。
オタク男は、ここでようやく自分の想いが片思いであることに気付くのだ。
そして去年、今度は吐き気を覚えるほどの緊張感を持って一次選考の結果を確認した。
結果は通過。
そして最終的にこの作品も三次選考まで残して頂けた。
話は変わるが、私は筆が遅い。
いや、筆が遅いというよりはやる気にならないと全く書かないタイプなのだ。
なので今までは電撃大賞の締め切りに合わせて、なんとか長編一作を書き上げるようなスタイルでやってきた。
そして今年。
電撃大賞の締め切りは4月10日。
進捗は、……ゼロだ。
なんとかここから締め切りまでに書き上げようと日々頭の中で空想を広げていた時に、ふとある思いがよぎった。
「ちょっと待て。お前、締め切りのために作品を書こうとしていないか?」ということだ。
締め切りのために書くのはもうやめよう
自分はなんのために小説を書くようになったのか、というのは以前の記事に載せているのだが、簡単にいうと「自分の生きた証を残したい」というものだ。
そのための手段としての「執筆」であり、結果としての「出版」だったはずだ。
ところがいまの自分は「締め切りに間に合わせるため」に書こうとしている。
これはダメだと気付いた。
心の底から書き上げたい作品ではなく、なんとか締め切りに間に合わせたような作品が受賞するはずなどない。
本当に納得できる作品なんてそうそう思いつくことはないのだ。
なので締め切りのために書くのはやめようと思う。
もちろん、電撃大賞への応募を諦めたわけではない。
「応募するため」の作品を書くのをやめようと決めたのだ。
書き上げるのは「自信作」。そして自分が書いてて楽しい、書きたいと思えるテーマが込められるような作品だ。
選考はマウントを取るための道具ではない
私はSNSで「飛鳥休暇」というペンネームのアカウントを作る際、プロフィールに必ず「電撃大賞三次落選」などと記入する。
この戦績はわりと悪くないものだと個人的には思っているが、この選考成績を取るために応募するのは違うのだと思ったのだ。
今年応募しようと考えているのも、どこかツイッターのフォロワーたちに「またここまで行きましたよ」とアピールしたい気持ちがあるのだと気付いた。
いや、本当は去年から気付いていたのだ。
選考に残ると気持ちがいい。
周りのみんなが褒めてくれる。「おめでとう」と言ってくれる。
人によっては「ああやっぱり飛鳥さんは残っていてすごいなぁ」などと思ってくれる人もいるだろう。
しかし、そんなわずかな自尊心を満たすためだけに応募しようと考えている自分に気付いた時、私はようやく原点に戻ることが出来たのだ。
「人の心を動かす作品を作りたい」
これが自分が作品を作る意味だったはずだ。
ようやく思い出せたこの気持ち。
忘れることなく、これからも自分なりの作品を作り続けていければと、いまになって誓うのだ。
あ、もちろん今年も出せたら出すよ。
諦めたわけではないのでね。